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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0669A01: 滿は同假名にて新羅源氏義光の裔とあるに誤り白吉
J19_0669A02: は白石の語をかなにて聞て記錄の時誤寫すと見えた
J19_0669A03: り義元義光文字似寄けれは亂謬せしとしらるされは
J19_0669A04: とて今宗義に改る時は一向宗門にあるを是とし本宗
J19_0669A05: に傳るをなみするに似たり系譜につたふる所事實名
J19_0669A06: 乘はそれらにはよるべからす又案るに宗義始義元と
J19_0669A07: 曆應四辛巳年十月十五日に生貞和元年酉南朝方小田
J19_0669A08: 讃岐守の爲に本藩佐竹義篤合戰ありし時搦手の副將
J19_0669A09: として二百三十騎とともに深入し豐原刑部磯原九郞
J19_0669A10: か爲に討死しけれは其のちは佐竹氏も暫く兵を收め
J19_0669A11: 太田城に楯籠られしかは宗義の二子いまた幼年なる
J19_0669A12: により一人は小姓として召仕はれ第五才なるを君命
J19_0669A13: として瓜連了實上人の室に剃染受具させらる故に時
J19_0669A14: とき太田城に來り太守の安否をもとひ藩中縁族の輩
J19_0669A15: と往事かたりもせしも太田法然寺開山蓮勝上人いま
J19_0669A16: た在住にて老若男女歸依せしかは座下に入てます
J19_0669A17: ます淨土の奧要を學ふ人となり頂骨高く聳え額に纎
J19_0669B18: 月を現し眼光人を射意に淸操をつつむ智辯泉のこと
J19_0669B19: く才鑑電に似たり又孔莊の兩奧を極め神歌の幽玄に
J19_0669B20: 至りて性相聖淨はいふも更なり了實蓮勝の外定惠に
J19_0669B21: 良範をうけて宗門の奧妙究めすといふ事なし然れと
J19_0669B22: も此ころ當國にては小田大掾水戸長沼並太田の佐竹
J19_0669B23: 近隣陸奧には岩城相馬白川二本松下野に那須宇津宮
J19_0669B24: 下總に結城多賀谷等其外大小の諸家或は南朝方と稱
J19_0669B25: し或は北京方となり互に威を振ひ勇を爭ひて片時も
J19_0669B26: 靜ならされは太田にも閑禪ならすして同國不輕山に
J19_0669B27: 至り穴洞に隱れて直牒十卷を撰す弟子了知此所に一宇を開き不輕山高仙寺と名
J19_0669B28: づく凡密宗を祐存法印に練磨し天台を眞源阿闍梨に傳
J19_0669B29: 承し禪を月庵天明の二師に探究し下野國磐田寺にて
J19_0669B30: 倶舍唯識を聽講ありしかは著述する所諸宗の薀奧な
J19_0669B31: らすといふ事なし永和四年下野國大庭山往生寺南瀧
J19_0669B32: 坊にて宗風をひろむ此時同國大澤良榮上人は師より
J19_0669B33: 年長臘高なりしかは遠近其德を稱す榮公見聞を作
J19_0669B34: られしをきかれ遙に彼國に趣き對面ののち互に樞要

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