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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0664A01: とにもかくにもとかめ給ふべきを此奴折おり我許
J19_0664A02: へも詣來て身の上の事を祈りつるを聞持侍れは此
J19_0664A03: 所へ參り候いかて御雙方の御怒は我等に給ひて此
J19_0664A04: 奴か罪も免したまへさらに我等相計ひ金毘羅神
J19_0664A05: の御許へは此奴を賽しに參詣せしめ奉んと申さ
J19_0664A06: れしかは二柱の神も夫に御心を和し給へるさまに
J19_0664A07: て互に式代していついつしく立ち別れ給へりと大
J19_0664A08: 息つき振ひわななきて語りけるかくて左の足の指
J19_0664A09: 三本は骨折れて廢れたり人人始よりのありさまを
J19_0664A10: よく見たりけれは恐怖すること限りなく打ちより
J19_0664A11: て路用をととのへあたへて丑之助を象頭山の御社
J19_0664A12: へ參詣せしめけるに折れたる指も元のことく愈り
J19_0664A13: しとそ
J19_0664A14: 以上平田篤胤自記 文政六年十二月寫
J19_0664A15: 無縁塚 本堂後の方にあり享保六辛丑三月四日大火
J19_0664A16: の時此山にのかれ入火を避んとして燒死するもの
J19_0664A17: 男女都て三百八十餘人なり其後一基の墳となして
J19_0664B18: 常念佛あり碑銘あり
J19_0664B19: 享保六辛丑歳三月四日火災起於牛込邊西南之風
J19_0664B20: 烈東北之空暗貴賤齊驚走緇素宏惶懼近市之庶人
J19_0664B21: 逃逋集此山飇風臻〓焞焞不止燄燄不滅既罹院宇
J19_0664B22: 百十餘年之精藍燒然毀壞暫成丘墟焉傷哉逃來之
J19_0664B23: 者及僧徒蹇仆於街路墜入於溝壑凶死數十人聚以
J19_0664B24: 爲一堆焉厥親戚朋友供華強悔恨灑水深哀悼共建
J19_0664B25: 於石碑焉維貶山僧示幽魂豁朗之偈曰
J19_0664B26: 吉凶共夢勿相愆 生死燒亡智炬煙
J19_0664B27: 佛願難思無上力 奇哉火裏汲淸泉
J19_0664B28: 山主記之
J19_0664B29: 地藏尊 福聚院
J19_0664B30: 還 本空信士一蓮 到 本理信女託生
J19_0664B31: 本堂より左の方開山堂の後の方惣卵塔の内大黑堂神樂屋の差渡し土手の下
J19_0664B32: にあり古き老人の話に寶永にいかなる去方き事や
J19_0664B33: ありけん二人の者無量山の門前にて挾箱に白き衣

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