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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0658A01: に此所了譽上人閑居の地也されと寺内もせはく所
J19_0658A02: 化のつくへきさまもなけれは此度五三町計前の廣
J19_0658A03: き方へうつされ源太郞といへる名主の屋鋪を廣め
J19_0658A04: 鎌田源三等の百姓の屋鋪六七軒一つになされ九月
J19_0658A05: 十五日より御普請初り惣奉行は土井大炊頭小奉行
J19_0658A06: 九島織部に命せられ御建立なされ談林となれり增
J19_0658A07: 上寺の所化の内了的廓山といへる名僧のありしを
J19_0658A08: 此寺の住持と定められ所化三百人はかり付らる廓
J19_0658A09: 山は駿河國府中法道寺の弟子了的は同所宮の前の
J19_0658A10: 龍泉寺の弟子なり兩人なから駿河より御存知の僧
J19_0658A11: にてかくのことしといふ
J19_0658A12: 法殿堂舍
J19_0658A13: 本堂 南向京間十間に九間 文政四年御修造の時金
J19_0658A14: 御紋三附慶長御造建の時は十八間四面其のち享保
J19_0658A15: 年中相つきて兩度燒亡す依て假御佛殿として今の
J19_0658A16: 堂を御造立一説此の堂は有德院殿御繪圖御引改
J19_0658A17: 云云初め御建立以後天樹院殿の御守殿を賜はり
J19_0658B18: 大方丈とし又京極家豐安院殿の掩粧の後は彼の古
J19_0658B19: 館を以て客殿となせしと云ふ享保初度の時は猶大
J19_0658B20: 厦の御建立なりしかと再火のたたりに半减に及へ
J19_0658B21: りと云ふ
J19_0658B22: 本尊阿彌陀佛左右の壇上に傳通院殿月溪院殿の尊
J19_0658B23: 牌を安置す五具足其外華鬘等水引等の莊嚴各有之
J19_0658B24: 御位牌殿 本堂後へ廻
J19_0658B25: 公上尊儀の御位牌殿各莊嚴具等有之是又享保迄は
J19_0658B26: 別殿朱殿わかち列りて嚴重なりしかと今は昔のか
J19_0658B27: たはかりのやうになれりと云今棟數三五別圍別間
J19_0658B28: 別守僧あり
J19_0658B29: 寬延四未年七月本堂御寶塔向所所并御道具類御修復
J19_0658B30: の料を賜る
J19_0658B31: 明和元申年御靈牌殿御再建本堂御廟所方丈向其外御
J19_0658B32: 修復の料を賜
J19_0658B33: 同二酉年去年の外御增料を賜
J19_0658B34: 安永二巳年五月御靈牌殿本堂并方丈向其外大破に及

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