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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0657A01: て同法了的とともに南都に至り法相宗を學ひ東大興
J19_0657A02: 福等の制條を禀得せしかは此御法會の時上へ奏達し
J19_0657A03: 是まて宗門の法服制度天台に類せしかば改めて莊嚴
J19_0657A04: 服紗の二衣五五九七五の袈裟を新裁し宗門永世の規
J19_0657A05: 格を正す
J19_0657A06: 是より先法服は飯沼弘經寺にて鎭譽祖洞上人より
J19_0657A07: 起り又廬山の派末泉堺旭蓮社澄圓菩薩の制等あり
J19_0657A08: といへとも國郡により一致ならす己隨によりて或
J19_0657A09: は禪衣或は台衣或は淺黑鼠壞色等なりしを今度御
J19_0657A10: 法會の新裁より永く一宗の法服と規定せる事二師
J19_0657A11: の功榮と謂へし
J19_0657A12: 元和八年三縁山の貫主に移職ありて定譽隨波大和尚
J19_0657A13: 當山を管攝せらるるに及ひ翌九年三月廿九日永賜紫
J19_0657A14: 衣の鳳詔あり是猶大將軍の奏聞に起り禁闕の評許也
J19_0657A15: これより以後三縁山に亞職として御代代御菩提所と
J19_0657A16: なりて御入棺の尊儀少からす御法諱等末に出之
J19_0657A17: されは當山は聖冏上人の結庵にもとつきて國師の奏
J19_0657B18: 請に再營仰出され廓山の才德に守張して永く宗門の
J19_0657B19: 大刹となる事凡慮の及ふへからさる所はひとへに佛
J19_0657B20: 天の冥祐感應道交の大道塲と謂つべし
J19_0657B21: 慶長十七年八月三日科注法華經を僧廓山に賜ふと
J19_0657B22: 古記に見えけるも當山住務中駿府に出仕ありし時
J19_0657B23: なり又同十九年四月五日淨土宗西福寺の長老撰擇
J19_0657B24: 集二卷を献すすなはち於御前讀しめらると本光日
J19_0657B25: 記等に見えたるは今淺草西福寺開山貞譽了傳なり
J19_0657B26: 其時も廓山同道なり
J19_0657B27: 廓山當山住務の中國師の指揮により寺門には留守看
J19_0657B28: 職を立て浪華御陣に供奉等の事あり駿府政事錄等に
J19_0657B29: 委出猶又予か三縁山志の中歷代高德の條に出すか故
J19_0657B30: に玆に略す
J19_0657B31: 寶祕錄云慶長十三年九月廿三日内府樣傳通院へ御
J19_0657B32: 參詣是迄此寺に住持もおかれす增上寺方丈よりか
J19_0657B33: け持なり恕念忍の住人と申道心者留守を承れり寺
J19_0657B34: 領三百石かの寺の邊にて賜れり談林となれり然る

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