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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0656A01: 候是は三河國苅屋の城主水野右衞門大夫殿と申人
J19_0656A02: の御息女なり家康公殊の外御愁傷被遊候御死骸は
J19_0656A03: 江戸へ御下し小石川の寺にて御葬禮可被成由御
J19_0656A04: 遺言なり右の小石川傳通院は淨土宗中興の了譽上
J19_0656A05: 人御開基の寺也然れども先方の代に當國當所亂世
J19_0656A06: にて久しく學匠能化も無之就中天正十八年小田原
J19_0656A07: 陣の時八王子筋より上方敵軍等亂入して此邊寺寺
J19_0656A08: 在在所所燒拂申候間彌彌此寺亡所に成候て寺之門
J19_0656A09: 前意光庵乘圓庵□上寺抔と申て寺僧の寮少少殘り
J19_0656A10: 寺の形わつかに殘り申計候處當御代御打入の後御
J19_0656A11: 鷹野に御座被成御覽被遊急に御取立被成寺を御建
J19_0656A12: 立有御袋樣之御菩提所に可被遊との儀にて御崇敬
J19_0656A13: 被遊候也
J19_0656A14: 晦日に伏見より御骨を御輿にて御下し水野日向守
J19_0656A15: 松平隱岐守以下御一門衆御供にて九月十三日に江
J19_0656A16: 戸へ御下向同十六日小石川の寺へ御入扨十八日小
J19_0656A17: 石川大塚の原にて御葬禮寺より西に涅槃堂あり夫
J19_0656B18: より御葬禮との間六地藏堂立られ火屋の幕はさや
J19_0656B19: 黄色水引は赤地金襽也御棺は萌黄の金襽天蓋も同
J19_0656B20: 色萠黄紗にて張申候燈籠四十八未敷開敷の蓮華日
J19_0656B21: 光月光其外美麗の粧り凡近代無雙の御葬禮なり御
J19_0656B22: 導師源譽上人御法號は傳通院殿蓉譽光岳知香大禪
J19_0656B23: 定尼
J19_0656B24: 同廿日より諸宗の出家參詣誦經有之四十八日の間
J19_0656B25: 御法事頓寫有之
J19_0656B26: 同云同九年閏八月十四日大御所樣伏見より江戸へ
J19_0656B27: 御下向御袋樣第三年の御法事又竹千代樣御祝儀方
J19_0656B28: 方道中御急之由申候
J19_0656B29: 慶長十三年初て國師の上足正譽廓山上人を以て當山
J19_0656B30: 中興第一祖と定めさせられしかば三縁山より入院あ
J19_0656B31: りて所化等をかの山よりわかち檀林十八員の其一に
J19_0656B32: 列し諸堂の建制日を追て構を大にす同十九年傳通院
J19_0656B33: 殿十三回御忌の御時寺産三百石を御寄附千部の御法
J19_0656B34: 會にて諸宗の諷經あり廓山始め東照宮の台命により

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