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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0655A01: て疲倦なし應永廿七年九月龍女形を現して淨土の秘
J19_0655A02: 要を聽聞せん事を乞猶十念を拜受し其恩報のためと
J19_0655A03: て此地元より高低不同の野原なるか故朝暮の阿伽に
J19_0655A04: 事かかれしをききて淸水を湧漲せしめけれは此水を
J19_0655A05: 極樂水とも名け又吉水とも稱せらる其後故ありて庵
J19_0655A06: 室を宗慶寺と改號す
J19_0655A07: 吉水の井其外氷川神の事宗慶寺の處へ出す故略す
J19_0655A08: 將命再營
J19_0655A09: 慶長七年八月廿九日贈大納言殿廣忠君の御室東照宮
J19_0655A10: 御尊母於大の方伏見城にて逝去させられしかは台命
J19_0655A11: により洛東知恩院にて御葬送御法會執行はせられ諸
J19_0655A12: 宗諷經も相すみてのち御遺骸を江戸に御送らせらる
J19_0655A13: るの時水野日向守松平隱岐守以下御供にて當所大塚
J19_0655A14: 町に於て御火葬あり
J19_0655A15: 今其所に智光寺光岳寺を建させられ當山の末寺と
J19_0655A16: す此時御法會を開かせられ增上寺觀智國師御導師を
J19_0655A17: つとめらる于時國師奏請すらく大君淨土門は御代代
J19_0655B18: の御宗門たるを以て御取立被下高祖上人の遺跡たる
J19_0655B19: 知恩院を花洛にての御菩提所とさせられ關東にては
J19_0655B20: 三縁山を御菩提所と定させらるるの上愚僧こときを
J19_0655B21: 以て御戒師に仰付られ國師の榮號を賜る事前代未聞
J19_0655B22: 實に佛法の中興淨土門の大本願にてましませり且當
J19_0655B23: 所聖冏庵は三縁山開山の師哲の遺跡にして冏師は諸
J19_0655B24: 宗通達の英雄一天無二の道德と仰かれぬ大君今御尊
J19_0655B25: 母の御菩提の御爲に此庵を御取立下され寺地を引て
J19_0655B26: 跡にて御寵室の御一人へ仰付られ再興を命し給はは
J19_0655B27: 兩所の光榮祖光の遺風末代に傳へひとへに御恩敬を
J19_0655B28: 仰き奉るべしとありしかば神君默受したまひ翌年松
J19_0655B29: 平大隅守伊奈備前守等に仰付られ當山を吉水より此
J19_0655B30: 地へ引移され御建立に及はせられ住持は三縁山主兼
J19_0655B31: 帶として御忌日には國師乘輿の禮念拜香の規式宗制
J19_0655B32: によりて嚴重なり
J19_0655B33: 慶長年錄七云慶長七年八月上旬より伏見にて於大
J19_0655B34: 之方樣御病氣同廿九日御年七十五にて御他界被成

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