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J2850 小石川伝通院志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0654A01: 檀林小石川傳通院志
J19_0654A02:
J19_0654A03: 目 次
J19_0654A04: 古山開剏 將命再營 法殿堂舍 院寮列名
J19_0654A05: 賜朱璽章 開山高德 法弟上足 歷世山主
J19_0654A06: 傳燈師哲 尊尼系傳 所葬高靈 門末由縁
J19_0654A07: 御朱印六百石 無量山壽經寺傳通院
J19_0654A08: 外御藏米二百七拾俵
J19_0654A09: 古山開剏
J19_0654A10: 應永年中酉蓮社了譽聖冏上人の高弟酉譽上人下總國
J19_0654A11: 貝塚より武藏國豐島郡にうつり一寺をひらき三縁山
J19_0654A12: 增上寺と名け宗門の學徒を四方の國より來集せしむ
J19_0654A13: 故につひに貝塚上人とも貝塚法印とも名く此時酉譽
J19_0654A14: 聖聰上人思念すらく我今かく宗門の棟梁となり學徒
J19_0654A15: 誘導の能化となる事師哲冏公の高恩なり然れとも師
J19_0654A16: は老年に及ばれ專ら著述のみに二光を消送あられけ
J19_0654A17: る上はたとへ新開の寺をささけ開祖と仰くとも住在
J19_0654B18: 開導は辭せらるべし然らば當所近きわたりにて幽景
J19_0654B19: の勝境をゑらひ草庵を結び居住を乞ははいなみ給ふ
J19_0654B20: ましと法弟了算を使として下總國橫曾根に師を吊訪
J19_0654B21: せしむ且北總の化導も累年に及ふの上は武藏にうつ
J19_0654B22: りて新化を施せらるべしと云云冏公も又新化の及は
J19_0654B23: ん事を嘉尚し同廿二年當國に移られ數日縁山に逗留
J19_0654B24: し四方近隣を巡視し草庵の勝境を卜觀ありある日礫
J19_0654B25: 川に至り初て心にかなへる地ありとて礫川に至り方
J19_0654B26: 三四間計の小庵を結ひて般舟の蓮社と稱し安禪專修
J19_0654B27: の道塲と定られ無量山壽經寺の號を定めらる凡此地
J19_0654B28: に棲居の内種種の奇瑞ありて遠近の道俗歸敬崇奉せ
J19_0654B29: すといふ事なし然れども師元より著述に二光を消し
J19_0654B30: 末代本宗の學徒敎諭を最要とせられしかば時にあた
J19_0654B31: りての門下を輻湊せしめられす又名利のため伽藍建
J19_0654B32: 立の沙汰なとに及はれすたた自行の爲には數萬の稱
J19_0654B33: 名誦經禮拜修禪閑座を樂行とし宗門の疏記和漢の祖
J19_0654B34: 述の化を助成のため偏に編纂選述の功勞年をかさね

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