浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0646A01: | かりしかば法衣の上へ忽ち法釼を帶し甲胄を着して |
J19_0646A02: | 文をかたはらにして武を專とせしかどさすが戒をす |
J19_0646A03: | て歸俗の思は更になかりしかは法體のままにて吉野 |
J19_0646A04: | に參り始は新田源君に仕へたりしかど後には楠和田 |
J19_0646A05: | に談し又は千種中將殿洞院左衞門督殿などどともに |
J19_0646A06: | 偏に花洛恢復の策籌をなせしかど其甲斐なかりしか |
J19_0646A07: | ば延文年中征西將軍の宮にしたがひ肥後國に下り菊 |
J19_0646A08: | 地肥後守とともに軍兵を起す菊地少貳と一戰の時肥 |
J19_0646A09: | 前にわたり暫く住しければ三根郡船石村に船石山淨 |
J19_0646A10: | 池院西蓮寺を開基す |
J19_0646A11: | 寺記云此のち寺門頗る廢絶に及ひなんとせしかば |
J19_0646A12: | 筑後國山本郷善導寺十八世增蓮社辨譽上人永享三 |
J19_0646A13: | 年再興し寺を伊勢町の大覺寺に屬せしむと云云 |
J19_0646A14: | 其後は世の非常をさとり再ひ念死念佛の功をかさね |
J19_0646A15: | 正中年中寂す |
J19_0646A16: | ○隨譽順如は光明寺四世良順弟子なり多年自山に貫 |
J19_0646A17: | 練群籍し無上道心ことに深し應安元年越中立山參詣 |
J19_0646B18: | 時富山智光山西養寺を中興し五智院を改號す |
J19_0646B19: | 寺記云當寺開山は立山開山藥勢上人なり大寶元丑 |
J19_0646B20: | 開登し當寺は一乘谷五智院と名け倶舍宗也其のち |
J19_0646B21: | 佐伯有賴菩提所と定め立山奧院とも云惠心僧都筆 |
J19_0646B22: | 則ち立山七峰本佛七尊繪像今に在り |
J19_0646B23: | 應安六年七月晦日沒後住順長は康應元年當寺に寂 |
J19_0646B24: | ○諦蓮社聽譽岌纂は阿波國人始藤田流を汲後天照山 |
J19_0646B25: | に掛錫し後本國に歸り板野郡勝瑞に淸瀧山淨智寺を |
J19_0646B26: | 建立享祿四年二月十八日沒七十二才と云 |
J19_0646B27: | 寺記云天文十八年名東郡德島に引移莊嚴院と加號 |
J19_0646B28: | す慶長十九年燒失の時過去帳由緖書燒失故すべて |
J19_0646B29: | 詳ならず |
J19_0646B30: | ○天蓮社龍譽了公は鎌倉人權田左衞門尉友重か三男 |
J19_0646B31: | 光明寺十四世長譽弟子附法後諸國修行に出慶長十卯 |
J19_0646B32: | 年泉堺にて印傳山大善寺又同所に榮正寺を起立し寬 |
J19_0646B33: | 永六巳年十一月四日化 |
J19_0646B34: | ○心蓮社深譽江月は鎌倉人光明寺に止住在學し後永 |