ウィンドウを閉じる

J2840 鎌倉光明寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0643A01: 高岳院を創建の時百三石を永世の供養料と定め甲
J19_0643A02: 府より遺骸御改葬ありしなり故に今高岳院をも御
J19_0643A03: 菩提所の列に加へさせらるるはこの故なり
J19_0643A04: 寂譽尾張國名古屋に移りし時隨身給仕し來り兩三
J19_0643A05: 年ののち鎌倉に下着し傳察上人の下にて兩脉相承し
J19_0643A06: 一宗の秘奧皆受の上猶在席勤務し積臘三十年時の伴
J19_0643A07: 頭となり世出世とも一宗に名ありここに相應院殿大
J19_0643A08: 法尼歸依異他にて歸國せしめ眞宗を弘通せしめらる
J19_0643A09: 嚴命辭しがたく嘉召に應じて寬永五年高岳院に住し
J19_0643A10: 住する事十六年其のち寬永十九年九月十六日大法尼
J19_0643A11: 逝去ありしかば國主亞相君の御沙汰として寶龜山相
J19_0643A12: 應寺を開創し翌未年落成靈骨を堂乾に瘞して八月呑
J19_0643A13: 屋を開山として高岳院より移轉入院せしめられ寺領
J19_0643A14: 三百石をよせらる住する事四年德長優勝により勅に
J19_0643A15: 應し正保三戍年三月二十一日洛東新黑谷金戒光明寺
J19_0643A16: に昇轉し在治七年この時大尼の鴻恩を謝せん爲に山
J19_0643A17: 下に公安院を建開し靈牌を安置し承應元年黑谷を隱
J19_0643B18: 辭し尾張國布池の邊に棲居の時亞相君より隱地を賜
J19_0643B19: へりつひに自然院と名け末寺と成寬文八申年四月二
J19_0643B20: 日化八十二才
J19_0643B21: ○圓蓮社滿譽玄道は駿府人光明寺に修學隨身し附法
J19_0643B22: 相承あり二脉相受ののち武藏國忍に行小庵を結び專
J19_0643B23: 念化他す此時城主薩摩中將忠吉卿師に歸依し母堂寶
J19_0643B24: 臺院殿のために封内に於て大雄山正覺寺を基立し百
J19_0643B25: 石を寄附せらる慶長十二未年三月五日忠吉卿芝の邸
J19_0643B26: に逝去增上寺に葬し觀智國師導師たり火葬の後遺骨
J19_0643B27: を淸須に送り靈廟を立性高院と名く同十五戌年淸須
J19_0643B28: を名護屋に引移る時寺も又隨從し名古屋に立淸須の
J19_0643B29: 跡も又寺とし元祿八年九月三日性高院正覺寺と名づ
J19_0643B30: け名護屋性高院の末寺と定めらる開祖玄道は寬永三
J19_0643B31: 年十月二十九日化七十一歳
J19_0643B32: ○榮譽秀興慶傳は花洛人淨花院に入て弟子となり鎌
J19_0643B33: 倉に下向し隨學附法數年ののち天文十四年尾張國丹
J19_0643B34: 羽郡岩倉村に至り説法勸化時城主織田伊勢守信安内

ウィンドウを閉じる