浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0639A01: | かの二匠にありて師の英才をしるものなし同十四戌 |
J19_0639A02: | 年二月十八日寂す六十九歳 |
J19_0639A03: | ○照蓮社光譽春古は伊勢人天野氏堺專修寺玄譽弟子 |
J19_0639A04: | となり |
J19_0639A05: | 玄譽永徹は宇治平等院中興京二條專稱寺泉州助松 |
J19_0639A06: | 專稱寺堺西向寺同所專稱寺等開起す |
J19_0639A07: | 光明寺にいりて修學十餘年文祿二年堺に歸りて煙雲 |
J19_0639A08: | 山龍門寺をひらく慶長四年十一月二十一日寂 |
J19_0639A09: | ○專蓮社靈譽良三は大和國櫻井村人布施氏子幼年に |
J19_0639A10: | て當麻奧院に剃度すひととなり慈仁溫和にして人と |
J19_0639A11: | 爭はず人の愁悲を見聞するごとに悲歎骨髓にいれり |
J19_0639A12: | 光明寺に入て學する事十一ケ年のち鎌倉記には三蓮社と有歸國し |
J19_0639A13: | 當國大守大納言秀長卿のとき添上郡廣岡村のほとり |
J19_0639A14: | に犯罪の輩の殺害仕置塲あり其所に二間四方の堂あ |
J19_0639A15: | りて長七尺の石像地藏菩薩を安置あり天正年中此邊 |
J19_0639A16: | に於て庵を結び晝夜勇猛に念佛修行しかの亡魂得脱 |
J19_0639A17: | を弔はる度度謝禮の夢を感し解脱せし恩を現示せる |
J19_0639B18: | ものもあり弟子專譽又是につきて千日念佛修行あり |
J19_0639B19: | 故に道俗貴賤群集しければつひに一宇の本堂僧房を |
J19_0639B20: | 取たて引接山聖衆院來迎寺と名け花頂山に隷屬を乞 |
J19_0639B21: | ひければ滿譽大僧正其德行を感賞し寺額を賜り山院 |
J19_0639B22: | 號を加へらる靈譽天正十一年四月六日寂靜として寂 |
J19_0639B23: | す五十八才 |
J19_0639B24: | ○天蓮社正譽誾道は相州三浦の人同郡法藏院の弟子 |
J19_0639B25: | となり光明寺に修學附法あり學なりてのち慶長年中 |
J19_0639B26: | 大和國にあそび郡山に無漏山實相寺を開基し元和四 |
J19_0639B27: | 年十二月十日死五十七才 |
J19_0639B28: | ○蕚蓮社央譽重信は鎌倉の人天文の末光明寺の所化 |
J19_0639B29: | となり内外の二典を涉獵す化他の志深かりしかば綸 |
J19_0639B30: | 旨頂戴の時畿内巡遊ありしに大和國高市郡桶野村飯 |
J19_0639B31: | 降山重信院權現寺を再興し次に市尾村石峯山金蓮院 |
J19_0639B32: | 如來寺は弘法大師二十五三昧隨一の基寺にて彌陀大 |
J19_0639B33: | 日の兩尊の堂閣佛塔巍然たりしに永享中軍火に燒亡 |
J19_0639B34: | し兩尊のみ漸く火中に殘り雨露に侵され里人草堂を |