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J2840 鎌倉光明寺志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0631A01: 規式を定め門末列迎し三門より入院あり
J19_0631A02: 當院本尊阿彌陀佛は運慶作にて千葉介常胤守本尊
J19_0631A03: 也常胤孫胤定禪師に歸依し入道し在阿と號す此尊
J19_0631A04: 像を寄附し家門の先祖の追善に備ふ後良順上人の
J19_0631A05: 代に至り修補あり本像腹内に貞治二年三月十五日
J19_0631A06: 修復之とあり
J19_0631A07: 千手院 三門の前左にあり始專修院と云後文字を改
J19_0631A08:
J19_0631A09: 學寮
J19_0631A10: 開祖創業の時は門下數百人並他宗より寓學の徒も
J19_0631A11: ありしかは草庵を結び安座聽法の室凡百餘人其の
J19_0631A12: ち或は增或は减時によりて不定觀譽祐崇上人の時
J19_0631A13: は凡六十餘宇と云傳へり其後又興廢ありて元和寬
J19_0631A14: 永の頃八十余宇近來義譽觀徹上人のころ猶六十余
J19_0631A15: 宇と云寶曆明和に及び學業自然と怠廢好學の徒少
J19_0631A16: ければにや又は餘の檀林に掛錫せしにや當今漸く
J19_0631A17: 十余宇となれり予文化の始宗戒二脈に登山せし時
J19_0631B18: は映徹義順等漸く七人のみなり
J19_0631B19: 善導塚 總門の前松原に有
J19_0631B20: 往世宋船日本へ渡海の時善導大師僧と化し乘來り
J19_0631B21: 筑前國に着す筑後國山本郷善導寺聖光辨阿記主禪師の師範な
J19_0631B22: り一夜夢らくわれは唐の善導なり汝が專修念佛の
J19_0631B23: 弘通をよろこび來朝し箱崎にあり來り迎ふべしと
J19_0631B24: 云云告にまかせかの地に至るに果して像あり其地
J19_0631B25: に一宇をたて善導寺と名く后又山本郷の善導寺に
J19_0631B26: 迎へらる記主禪師鎭西に趣き辨師に謁するの日其
J19_0631B27: 像を附屬あり禪師靈像にむかひ吾は是より諸國の
J19_0631B28: 衆生を濟渡せんと欲す三年の後關東に至るべし其
J19_0631B29: 間は何れの國にても有縁の地に跡をととめ給へと
J19_0631B30: て海に投入けるを見聞の道俗或は驚き或は歎息し
J19_0631B31: 祖意如何と評す後禪師當國佐介か谷に居するの時
J19_0631B32: 由比濱澳に光明赫奕たる事七日七夜漁父海人怪驚
J19_0631B33: する處靈像忽然として由井の濱に上り給へは禪師
J19_0631B34: 其地に蓮花寺をうつす今の地是なり則祈禱堂に安

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