浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0578A01: | 續三縁山志 表 序 凡例 目次 引書 |
J19_0578A02: | |
J19_0578A03: | 恭進三縁山志後編狀 |
J19_0578A04: | 攝門言 |
J19_0578A05: | 山主大僧正猊座下古之垂鑒於今今之徴信於後必賴紀 |
J19_0578A06: | 錄之載故彼太上立德不屑立言而五千之莂盡歸乎貝葉 |
J19_0578A07: | 七九之經皆託於竹牒然况道化謝瞿曇憲章非宣尼者 |
J19_0578A08: | 不務立言何以傳於後祀哉貧道攝門行能庸劣學植諓薄 |
J19_0578A09: | 幸庇會下之席末勤修之暇頗留心於典章因念立言之事 |
J19_0578A10: | 豈薄劣之所理徧摩之任或庶幾萬一焉夫南都北嶺之名 |
J19_0578A11: | 藍沿革變遷猶憑舊記以徴往昔 本刹之創殆四百年微 |
J19_0578A12: | 於昔盛于今不有記載何以徴於後日於是發憤編摩撰二 |
J19_0578A13: | 縁山志十二卷既於故大僧正世恭經進覽後又妄意摭其 |
J19_0578A14: | 遺闕作後編一十卷適遭 大僧正入繼法統謹錄上進固 |
J19_0578A15: | 知多踈漏舛繆之失豈冀與古人翰墨同挿高架哉但我 |
J19_0578A16: | 本刹之記載與彼南都北嶺之舊塲並美於他日則或有之 |
J19_0578A17: | 矣苟略其僣妄辱賜收拾感恩之深何以喩焉伏惟 高祖 |
J19_0578B18: | 大師開眞宗於吉水漲法流於日域爾來宗派綿綿乎今寰 |
J19_0578B19: | 中何處無稱名之聲實是東漸懸記而大悲之本懷諸天之 |
J19_0578B20: | 所擁護者是以 國家崇奉固遵隆典又况 本刹者 太 |
J19_0578B21: | 朝廟陵之神區是故年中行事法會儀軌歷世修飾粲乎其 |
J19_0578B22: | 備又彼雲水蓑笠四方來集如百川之朝江海故俊傑學 |
J19_0578B23: | 匠高尚法器常不乏其人而歳遷時更空遺片石殘塔中絶 |
J19_0578B24: | 一盂薄祭者不亦哀哉是則法義所係責在後死又悉加搜 |
J19_0578B25: | 訪其餘至于都鄙所在稱名蓮社異派梵刹淨筵道塲本支 |
J19_0578B26: | 末流凡前編所遺一一編輯焉其如四本山及十七檀林別 |
J19_0578B27: | 應錄上末徒攝門誠恐誠懼謹狀文政三年秋七月日 |
J19_0578B28: | 鳥の鳴吾妻のくぬちにわきてかしこみおろかみたい |
J19_0578B29: | まつりて國の八十くに島のやそしま落るくまなくき |
J19_0578B30: | こえわたれる大寺は親と近と增上との三のえにしを |
J19_0578B31: | 名におへるみやまになむ有けるそこの三島中谷にす |
J19_0578B32: | める攝門上人はをるときしも臥ときしも厠に上る時 |
J19_0578B33: | しも書をみけるときこえしもろこしの何かしより |
J19_0578B34: | けになゆ竹のたわみなくいそしみつつ學をきはめて |