浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0577A01: | のいのりまいれは感應むなしからずここに當院 |
J19_0577A02: | 五世任阿弟子白詮本國因幡鳥取に歸省の時かの |
J19_0577A03: | 地に至り中村氏に宿りける夜齒痛極りなかりけ |
J19_0577A04: | れば藥功をとひたづねしかどしるしなかりしに |
J19_0577A05: | 家のもの此禪尼の事をのべしかばやがて定福寺 |
J19_0577A06: | に至り念ずるに忽ち消て再ひ愁なかりけるにぞ |
J19_0577A07: | 奇異の思ひをなせしに猶其夜夢中のことありけ |
J19_0577A08: | れは分骨をこひ東都に歸錫の後則新に牌をたて |
J19_0577A09: | 廟所をつくりてうつしまつるに老少齒痛の感應 |
J19_0577A10: | いちじるく祈願ここに滿せり |
J19_0577A11: | 當寺歷世詳ならす進譽理海を中興と定め前後の住持 |
J19_0577A12: | 名もしるすといへども故ありて今玆に略す |
J19_0577A13: | ○切通時鐘 |
J19_0577A14: | 當山洪鐘の餘りかねにて鑄し事は前に出當山外境内 |
J19_0577A15: | なり山の上平地十間坂道幅一間通り坂内二十一間なり始は境内の圍内なりしを切 |
J19_0577A16: | 通地所御用にて差上し時圍外となれり享保九辰年七 |
J19_0577A17: | 月四日切通明地永井町へ御預けの節往還より坂口迄 |
J19_0577B18: | 巾一間に長十二間御定杭立させられ通道を賜へり此 |
J19_0577B19: | 時攝津國天王寺領若松村川堀新兵衞といへる地士名 |
J19_0577B20: | を若松藤右衞門と改むはしめ大養寺門前にて兩替商賣し名主となり在名を名乘り改む時の |
J19_0577B21: | 鐘再建を願ひ主となれり |
J19_0577B22: | ○心光院 赤羽川端なりしかれとも常に山内の法式に出仕せるゆへ山中別院の處に委く出 |
J19_0577B23: | 御當山門末の寺院都鄙に數百あり又配下支族少から |
J19_0577B24: | ず共に略す |
J19_0577B25: | 我縁山界疆廣大由縁久遠なる事上に詳かに載すると |
J19_0577B26: | いへ共事跡悉く記す事あたはず故に別に後篇十卷を |
J19_0577B27: | 述せり彼と對校合觀せば分派末支兼學依順に至る迄 |
J19_0577B28: | の源流遐昌を知見せむ事目下に瞭然たらむ而已 |
J19_0577B29: | 文政二年五月 常譽攝門(花押) |