浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0557A01: | 寮屋根西隣空寮中谷良觀海呑順東察岸の四寮は殘り余は燒袋谷眞龍曇龍の二寮はのこる天神谷殘ら |
J19_0557A02: | ず燒北谷隆宣俊靈祐翁專笈智堂感光快辨義定空寮靈忠天周の十一宇燒三島谷西側祐山密嚴拜領寮祐月春雄空寮一役者寮同西側 |
J19_0557A03: | にて了因秀流滿空圓應の十宇はやけず今の四辻より北は都て殘れり神明谷空寮二宇運硯寮燒合三十七宇 |
J19_0557A04: | 燒坊中淸光院德水院安養院淨運院花岳院常照院貞松 |
J19_0557A05: | 院光學院池德院花養院月窓院源寶院源壽院并に恭敬 |
J19_0557A06: | 院燒失八時より微雨七時大雨御防松平陸奧守四月十四日學寮 |
J19_0557A07: | 坊中へ金銀を給へり役者祐月察岸良源院觀智院 |
J19_0557A08: | ○天明三夘年十二月方丈向悉く燒失 |
J19_0557A09: | ○文化三寅年三月四日牛町より出火山下南谷妙定院より西は殘り東にて圓淑寮殘る |
J19_0557A10: | 南の四谷殘らす燒亡御別當安立院惠眼院寶松院最勝 |
J19_0557A11: | 院別院淸光寺酉蓮社淸林院坊中林松院隆崇院瑞花院 |
J19_0557A12: | 瑞善院安養院德水院淨運院淸光院等燒失 |
J19_0557A13: | ○同八末年二月廿一日赤坂出火瑞蓮院惠照院寶珠院類燒 |
J19_0557A14: | ○文政二卯年四月十七日夜八時安養院より出火淨運院 |
J19_0557A15: | ともに燒 |
J19_0557A16: | 右の外新谷卓善寮山下谷歡碩寮三島谷了山寮惠照院 |
J19_0557A17: | 良雄院池德院寶珠院等一院一寮の燒失ありといへと |
J19_0557B18: | も悉く略す |
J19_0557B19: | 『武家嚴制錄卅七五右』云一增上寺火事の刻火消之 |
J19_0557B20: | 衆就被仰付候後家來火消之節被罷越候ても已下略 |
J19_0557B21: | ○山伏塚 |
J19_0557B22: | 三島谷四辻北西の角南役寮にあり天文十年のころ常 |
J19_0557B23: | 陸國岡見中務大輔が弟岡見大膳修驗の姿にて太田三 |
J19_0557B24: | 樂をかたらはんがために當國に來りける時遠山左衞 |
J19_0557B25: | 門尉か家の子齋藤大三郞飯倉源太夫と大に喧嘩しつ |
J19_0557B26: | ゐに此所にうたれしを里人うづめ山伏塚と呼しとそ |
J19_0557B27: | 夫よりしばしばたたりなどあり寬政の末察常上人こ |
J19_0557B28: | こに住れける時しるしに植有し榎の塚をほり雲晴院 |
J19_0557B29: | におくり回向あられし是より塚はなし其跡はのこれ |
J19_0557B30: | り又一説あり略す『桂華漫筆』に此塜の靈ある事をのす故ある事にて障る事あれはここにのせす |
J19_0557B31: | ○墳墓 三蓮社の南 |
J19_0557B32: | 性高院殿號三位中將薩摩守忠吉朝臣淸須城主を葬し四人殉死の墓あり其所 |
J19_0557B33: | に聖衆庵をたつ今安蓮社なり此前より闔山の無常所と定む |
J19_0557B34: | 凡此地に至り見れは蕭颯たる木風耳に無常の聲をつ |