ウィンドウを閉じる

J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0556A01: △六反畑今三蓮社のまへなり
J19_0556A02: △福聚院は今かさもり社の所より南の空地の所まで
J19_0556A03: にて院の北に秋葉社をまつれり
J19_0556A04: △一經院は今の瑞蓮院臺所の所なり藥師堂北に向ひ
J19_0556A05: 門は西にひらきて境内に揚弓茶店などありて涅槃門
J19_0556A06: の外なり文化燒失ののち住持春察に別に一寺を給は
J19_0556A07: らんとの事にてつゐに寶珠院に合す
J19_0556A08: △淸林院は林松院の向にて今柳茶屋の所なり文化燒
J19_0556A09: 失の時其地を圍こみ土手をきづく
J19_0556A10: △在心室は福聚院の地文化五辰年十月地所改の時間
J19_0556A11: 口二十七間五尺土手際廿九間三尺東西奧行三十四間
J19_0556A12: あり又空地南北十間餘東西三十四間を合圍せり是現
J19_0556A13: 譽大僧正隱室として自ら作らせられしなり文化九申
J19_0556A14: 年五月福聚院に賜へり
J19_0556A15: ○類燒
J19_0556A16: 天正十午年貝塚にて燒失雲譽上人代今現國師自筆あり
J19_0556A17: ○明曆三酉年正月十九日丸山本妙寺出火山内燒失學寮九拾四
J19_0556B18: 宇坊中拾五院外に恭敬院此時銀百五拾貫目を官より賜ふ證名宛名梶川七之丞須田傳左衞門筒井七
J19_0556B19: 郞右衞門役者萬良源意常照院月光院十月五日御渡丁銀三千四百八十枚寺家一院
J19_0556B20: へ百枚つつ學寮へ貳拾枚つつ役者へ百枚恭敬院へは方丈より賜ふ
J19_0556B21: ○寬文八申年二月朔日類燒塔頭十八院并恭敬院願により
J19_0556B22: 銀千枚を賜ふ 學寮數十宇
J19_0556B23: ○延寶四辰年九月廿一日夜大方丈より出火方丈向悉
J19_0556B24: く燒失
J19_0556B25: ○寶永二酉年四月朔日方丈向燒失
J19_0556B26: ○享保二酉年十二月廿八日明六つ時牛込山伏町出火類燒三島谷寮九
J19_0556B27: 同中谷寮十五宇北谷八宇神明谷八宇南中谷十二宇天神谷十三宇
J19_0556B28: 八宇合九十一宇坊中十餘院院名詳ならず
J19_0556B29: ○同八夘年十月廿四日卯中刻愛宕下酒井氏より出火 類燒山内北惣圍
J19_0556B30: 板塀六十間余三島谷十五宇同北谷寮六神明谷寮四同中谷七宇合三
J19_0556B31: 十二宇坊中いまだ勘へず
J19_0556B32: ○同十二末年十二月十日申刻過貳番町より出火類燒北惣圍板塀廿三
J19_0556B33: 間余三島谷九宇同中谷十三宇同北谷三宇神明谷四宇同中谷七宇
J19_0556B34: ○寶曆十二午年二月十六日九時過より本芝西信寺裏通り豆腐やより出火新谷泰嚴

ウィンドウを閉じる