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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0554A01: いふへき梅新谷にあらず又觀了の室いつれもさだ
J19_0554A02: かにわかたず惜べし是各寮に定記なく事實を傳ふ
J19_0554A03: る事をせざるの失なり或云此梅もと廓山上人植め
J19_0554A04: でられしとも又國師の植させ置れしとも云
J19_0554A05: ○夕日櫻
J19_0554A06: 富士見坂の西東二株あり西は眞乘院の境の内にあり
J19_0554A07: 東は坂より東うらにありいつれも夕榮に色深ければ
J19_0554A08: 西木は瀧川氏殊に執しめてけりしかど文化御增地の
J19_0554A09: 時大木なれはうつせるに便なくして殘れり東の方は
J19_0554A10: もとより眞乘院の庭にあり此櫻は垂絲櫻と名く然れとも或記に東西わかたざりしかば一所
J19_0554A11: にいだす
J19_0554A12: ○大いぶき
J19_0554A13: 方丈圍の鬼門の所の脇にあり福島正則屋敷の庭木と
J19_0554A14: 古記に出つ後仙臺矦の庭に榮へりと云いぶきにかく
J19_0554A15: のごとき大木なし百年をもてかぞふべし或云く天文
J19_0554A16: 年中遠山丹波守庭にありてそれまでも五百年を經し
J19_0554A17: といふ福島氏威力によりて庭に移し植しとぞ
J19_0554B18: ○銀杏
J19_0554B19: 安國殿御境にあり寬政六寅年地より五尺の上にて計
J19_0554B20: りしとき五圍あり則碑を立
J19_0554B21: 寬政六甲寅正月建 釋大義謹識
J19_0554B22: 神木地上五尺之圍一丈七尺六寸
J19_0554B23: 神木銀杏之曰夷朝傳言 神祖命植之社中央與四
J19_0554B24: 隅者象四夷來朝於中土之義銘曰
J19_0554B25: 惟銀杏樹 經幾星霜 不折不撓 固有禎祥
J19_0554B26: 幹大鬱鬱 枝榮蒼蒼 勿翦勿伐 以比甘棠
J19_0554B27: 又三蓮社へ廻り角銀杏番所の側にあるも凡五圍にち
J19_0554B28: かし文化十三子年秋の大風に裂倒し今は分株のみあ
J19_0554B29: り又隨蓮院舊地にも大木あり燒亡の時燒損せり今猶
J19_0554B30: 殘株榮ふすべて銀杏大木あまたあり非情の盛衰物産
J19_0554B31: の善惡すら猶地を撰ぶか是を見ても學林の徒光陰を
J19_0554B32: 空く失ふべからず廢學すべからず麻中のよもぎ心を
J19_0554B33: 付べし
J19_0554B34: ○富士見坂

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