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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0542A01:
J19_0542B02: 迄も袋町と云都て九谷ともに町名なり今は悉く谷名に改む東の方に學頭寮あ
J19_0542B03:
J19_0542B04: ○南中谷は北にも中の字有がゆへに南の字を加ふ天
J19_0542B05: 神谷はもと天神の社あり新谷は延寶中にひらく
J19_0542B06: ○三島谷は御成御門より入左へ東通りの西なり八軒
J19_0542B07: 寺町よりは小豆橋を渡りての所なり寬永九の圖に鍋
J19_0542B08: 島なとの三屋敷の所なり此谷享保までは三島谷同中
J19_0542B09: 谷同南谷神明谷同中谷同東谷とわかれり燒失ののち
J19_0542B10: 三谷とわかつ
J19_0542B11: ○山下谷は寶永中方丈を今の地に引移賜りし時其前
J19_0542B12: よりある院寮をうつされしなり寳曆中妙定院開建引
J19_0542B13: つづき西谷にも又寮あまた建續けり故に東を山下谷
J19_0542B14: といひ西を山下西谷と呼近年上谷下谷といふは非なり兩谷ともに土
J19_0542B15: 手の方はいづれも庭木たくみに植赤羽の川をさかひ
J19_0542B16: て奇眺遠望勝れたり又此所古より郭公名所といへる
J19_0542B17: 據をしらず實に新樹の頃は他より多く鳴わたりて聲
J19_0542B18: も又たぐひなし岸村郭公の名所なりと幸社の記に出此地岸村のつづきゆへ天正慶長の頃よりなづけしならんか

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