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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0541A01: 此四所の外非常の門天神谷の東是をはねばしといふ三島中谷の
J19_0541A02: 幸社宮のわき平生ひらく事なし
J19_0541A03: ○下馬札
J19_0541A04: 表と裏とは慶長御再建の時建させられ北と柵とは平
J19_0541A05: 生ひらかざりしかは下馬札も建させられざりしを文
J19_0541A06: 化十一戍年十一月十三日兩所へも建させらる
J19_0541A07: ○土手
J19_0541A08: ○南の土手は往年往還なり延寶四辰年境内にたまへ
J19_0541A09: りし時土手を作り又柵をもて垣とせらるもとは此土手の内に大道あ
J19_0541A10: り今さく門より東へすぐに境内なりしとぞ
J19_0541A11: ○西北と西南の兩所は文化御增地の後これをきづき
J19_0541A12: 樫を植付柵門の續は矢來をも添させらる
J19_0541A13: ○東表の土手は享保三戌年二月廿二日安藤右京亮へ
J19_0541A14: 奏達ありて造る
J19_0541A15: 九谷 袋谷
J19_0541A16: 大門を入左の方へ一丁にして東橫町を云もと行とま
J19_0541A17: りにて袋のことき故に袋谷と名く今は中谷に通行ひらく元祿の頃
J19_0541B18:

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