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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0540A01: 時山下谷の地をも添賜へり延寶四辰年八月新谷土手
J19_0540A02: の内を御增地に賜ふ寶永二酉年の改に裏門外石橋よ
J19_0540A03: り南封疆迄五百三十六間とあり此時四ケ所の改あり玆に略す文化八
J19_0540A04: 未年六月廿八日水野和泉守能勢吉十郞瀧川安藝守朝倉孫之丞飯久保龜三郞の屋數を召あけられし西北
J19_0540A05: の方にて五千貳百七十一坪餘西の方にて五千九百貳
J19_0540A06: 拾五坪餘合一萬千百九十六坪又同十月十八日六百五十坪餘を圍
J19_0540A07: 込として御增地あり『或書』に云往年一僧の夢に當
J19_0540A08: 山は古佛説法の所三世成道の地なり分身の化佛集り
J19_0540A09: て法を末世にひらき善惡の凡夫を濟度して彌陀の誓
J19_0540A10: 願を慈氏の曉につたへ經論釋は三國無双の流傳の
J19_0540A11: 地なりとあるもむべなるかな當今法問講釋の盛行叡
J19_0540A12: 岳野山といへともたくらぶべからず况や東西の國
J19_0540A13: より集りて傳法傳戒の功をつみ四海の良導たるべき
J19_0540A14: 法將も多く出れは實に土德境功といふべし是皆東照
J19_0540A15: 神祖の釋門を中興し護法扶起の哀愍の御恩澤なり
J19_0540A16: 「明德四年十二月眞言宗を改淨土宗翌應永元年爲大
J19_0540A17: 叢林三縁山之圖」(略ス)
J19_0540B18: ○門
J19_0540B19: ○大門は濱松町一二丁目の間にひらく東向にして海
J19_0540B20: 日昇天の曙宿煙を拂て朱戸にかかやき朝嵐空に音し
J19_0540B21: て番吏の眠を驚かす
J19_0540B22: ○裏門は北にひらけり是を御成御門と稱す石橋櫻川
J19_0540B23: にかかりて赤扉春風に浪花をさそひ一帶の淸流塵
J19_0540B24: 路を界へり此門より無常人を通行せしめす寬永の比の圖を見るに
J19_0540B25: 此所より一丁餘東の方にありされと事蹟詳ならす 享保火災の後は門の前につらな
J19_0540B26: りし諸家を他にうつされ今曠路馬場遠く火の縁をさ
J19_0540B27: れり此門より内を仰見れば蒼松茂林遙に森羅し淸院
J19_0540B28: 幽社見るめにかすめり又西は切通し靑松愛宕の山林
J19_0540B29: つらなりて老檜矗杉梵閣をかこみ春天の花梢秋風の
J19_0540B30: 紅楓天工の氣象たり「御成門内圖」(略ス)
J19_0540B31: ○涅槃門は一山の北にあたれり故に此名あり東を發心南を修行
J19_0540B32: 西を菩提北を涅槃門といふもとは今の瑞蓮院の所なり此門前より西久保に通せり
J19_0540B33: ○柵門は赤羽川へ出る所也文化迄は此二門常に開く
J19_0540B34: 事なし往年は柵にて造られしとそ「柵門内圖」(略ス)

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