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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0538A01: る所なり數十萬余の寺院に祝禱し奉る事豈むなし
J19_0538A02: かるへきや國家の遐昌を無量永久に奉祈し奉り
J19_0538A03: 法運の榮修を三會の得道に契到せしむるは諸宗の
J19_0538A04: 希所也
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J19_0538A17:
J19_0538B18: 三縁山志卷十一
J19_0538B19: 會下三島中谷攝門編
J19_0538B20: 第十一境内地理
J19_0538B21: 御當山もと貝塚にあり今麴町平川天神の西より喰違
J19_0538B22: のあたりなり故に平川御門のあたりとあやまれり
J19_0538B23: 平川御門は平川口なるか故に名く平川の所に平川御門あるには非す『江戸砂子』云土橋の邊に
J19_0538B24: ありし御堀端に今も增上寺の持分の所四五尺に八九
J19_0538B25: 間程ほそ長き所あり又土橋の内に大杉あり此木陰も
J19_0538B26: 持分なりと云俗に喰違といふ所の南と又當寺草創
J19_0538B27: の地は貝塚なり後日比谷の邊にうつり慶長三戌年八
J19_0538B28: 月今の地にうつさると同し書の内に二所あり案るに和
J19_0538B29: 田倉のあたりに國師やしきをのせて觀智國師登城の時の休息所とせり是本光國師のやしきにして寺社の事をつかさとられし屋敷のあと
J19_0538B30: なるべし是を觀智國師にたがへしより御當山を和田倉龍の口平川などどあやまりしなり同し書の内に二所を出す又日比谷に移れるは今
J19_0538B31: の所なるを日比谷御門の所とたがへて二所とせり御門は平川のごとく日比谷口にして日比谷の所にはあらず新橋御門を廢せられざりし
J19_0538B32: 時は今の芝口を日比谷一丁目二丁目ととなへり今源助丁にまつれる稻荷をも日比谷稻荷と云日比谷は芝の名にして日比谷口の御門をそ
J19_0538B33: の所とおもへるはたがへり又『合考』云山口南川語云天正十八年八
J19_0538B34: 月御入國の後神君最初に御城へ御通り遊されし時今

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