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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0529A01: 島谷祐全寮に下着し指南典阿明和七寅年閏六月二日善導
J19_0529A02: 寺在定上人へ隨身し同九辰年三月十九日彼方にて直
J19_0529A03: 弟改め在禪と稱座下に補弼し世法の二務を司らる此
J19_0529A04: ころより好て外典の文詩に遊涉あり性謹厚にして禮
J19_0529A05: 讓あつし後御當山に歸山持寮し安永五未年正月廿五
J19_0529A06: 日『稱讃淨土經疏』を席講し天明二寅年十一月廿五日
J19_0529A07: 再役に『淨土論註』を開講あり幹事の繁任に居といへ
J19_0529A08: ども精學純行怠りなし伺六午年二月廿一日學頭に補
J19_0529A09: 故あつて袋谷にうつらず同三月十日大念寺に命擧ありて住す寬
J19_0529A10: 政十午年十一月十二日弘經寺にうつり文化元子年八
J19_0529A11: 月廿九日光明寺に轉す同五辰年四月朔日當山に昇住
J19_0529A12: し大僧正に任せらる住山の後宗風の光輝を本心とし
J19_0529A13: て小事にかかはりなし文昭院殿の百回御忌に千部大
J19_0529A14: 會の御導師となり俊岳院殿の御葬事をつとめらる文
J19_0529A15: 化七未年赤坂の出火に隨蓮院惠照院寶珠院一經院等
J19_0529A16: 燒亡せるを歎息ありて官に事をのべ新に一萬二千坪
J19_0529A17: 餘を境内に圍ひ入隨蓮惠照の二院を轉地し跡を除火
J19_0529B18: の山林とせらる此時眞乘院通元院類燒せずといへども御靈屋にちかきを以て能勢瀧川の屋敷跡に替地し一經院
J19_0529B19: をたたみて本尊を寶珠院に合せらる『蓮門諸德讃』を述し往世を繼て新法を
J19_0529B20: 立られず文化十酉年八月辭職の後山下谷妙定院に移
J19_0529B21: りて老命を保養あり
J19_0529B22: 第五十六世 演蓮社大僧正敎譽上人光阿義圓典海大
J19_0529B23: 和尚
J19_0529B24: 紀伊國名草郡出島人なり先祖栗栖犬楠丸は同國岡崎
J19_0529B25: 庄下司職武藏權守より畠山左近大夫將監送建武四丑年九月廿六日の文書今にありとして正平六卯
J19_0529B26: 年閏二月十七日栗栖六郞忠節を抽し下しふみ今當家におさむより
J19_0529B27: 代代此所にすみて苗字を村名に改たむ師はじめ大坂
J19_0529B28: 天滿大信寺にいり出家し十三歳にして江戸に下り三
J19_0529B29: 田林泉寺禀譽説典を師とし名を説音と號し學業を勵
J19_0529B30: み芝山に入りていよいよ内外の書を閲解す後今名に
J19_0529B31: 改らる天明元丑年十一月廿五日席役『十八通』を開
J19_0529B32: 講し同五巳年十一月廿五日再役『淨土論註』を開講あ
J19_0529B33: り寬政三亥年十月廿二日學頭職に補し十一月三日新
J19_0529B34: 谷より袋谷にうつり同四子年六月十七日命を奉し蓮

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