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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0530A01: 馨寺に住享和二戌年三月廿一日大光院に轉し文化五
J19_0530A02: 辰年四月廿四日光明寺に移職あり大方丈を新に建つ其外の修造いづれも往世に
J19_0530A03: 倍せり同十酉年十月朔日御當山に昇住ありて大僧正に
J19_0530A04: 任せらる是より山内の舊式を改め新制の規達多し翌
J19_0530A05: 年七月開山忌に中興國師の像を列祖堂より本堂に招
J19_0530A06: 輿せらる此時扇間以下の寮主の面面前列後衞として鳳輦を本堂に〓行す又日中の勤行は日
J19_0530A07: 中禮讃のあとにて三部經の輪讀なりしを翌年より法
J19_0530A08: 事讃に改め十二月六日より八日迄の佛名會を彌陀懺
J19_0530A09: 法に改めらる毎月廿一日には安蓮社に於て宗門の勸
J19_0530A10: 誡を開き遠近の男女に十念を給ひしかば貴賤蟻集し
J19_0530A11: 法音をきき信心を增進し日課を受るもの多し此時又
J19_0530A12: 結縁戒譜血脉を士女にたまへり同十二亥年八月廿三
J19_0530A13: 日鎌倉圓覺寺正續院より佛牙の舍利を招請し本堂に
J19_0530A14: 於て一山集會拜禮せしめ後官に奏せられ殿中に迎請
J19_0530A15: 供養をのべさせ奉らる是安永二巳年六月輪王寺御門室より柳營家へ請せしめ給へりし例なりとぞ
J19_0530A16: 同年九月四日柵門涅槃門を通用せしめ後兩所に下馬
J19_0530A17: 札を奏願し新に建させらる同十三年子年七月六日
J19_0530B18: 坊中十三院へ香衣着用を官に達し免せらる此ころ山
J19_0530B19: 内寺院の取締を達せられ伊勢國慶光院は臨濟の禪
J19_0530B20: を學べるを本宗とせしに五重を傳へ此後兼學たらし
J19_0530B21: む常に諸矦の隱老と交接し歌棊をもてはやされ儒士
J19_0530B22: 奇人をまねき座下に講をきき新書院をつくりて奇石
J19_0530B23: 異木を植させらる惇信院殿の五十回御忌有章院殿の
J19_0530B24: 百回御忌に千部大會の導師をつとめ東照宮二百回御
J19_0530B25: 神忌に千部の法會を本堂にひらき玉樹院殿淸湛院殿
J19_0530B26: の御新葬に下炬を勤め御法事を大方丈に修せらるる
J19_0530B27: の時の御導師たり性高院殿の塔並に殉死四士の墓
J19_0530B28: を安蓮社の後に新建あり文化元寅年十一月廿一日布
J19_0530B29: 薩の傳法はててのち安蓮社にいたり例のごとく士女
J19_0530B30: を勸誡のなかば俄に腹痛おこり歸駕あらせられしよ
J19_0530B31: り平臥醫術をつくせどもしるしなく翌廿二日五重廿
J19_0530B32: 三日は宗戒兩脉の承傳なりしかば前大僧正熏譽公老
J19_0530B33: 軀をたすけ出席傳法あり是よりあまたの官醫も術を
J19_0530B34: 失ひ日日に重らせられしかば四日隱退の旨を寺社司

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