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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0521A01: 近德光をしりて頻に拜參の服謁あり師もとより淸操
J19_0521A02: 默知言語かざらずして意深く辨利さはやかにして演
J19_0521A03: 説に名あり故に官人朝士も名をしりて奏達時をこへ
J19_0521A04: ず天明三卯年九月廿五日增上寺に遷り大僧正に任ぜ
J19_0521A05: らる今年十月十七日口宣傳頂のため高弟靈麟上洛す
J19_0521A06: 十二月廿二日の夜方丈燒亡の時至れるにや出火庫裏
J19_0521A07: に至るまで殘らず灰燼となる此時法祖代代の傳籍當
J19_0521A08: 山數世の記錄みな燒失に及ひ主伴の愁歎少からずし
J19_0521A09: かれども官に達し再建舊觀にふくす功業しるしあり
J19_0521A10: て上下これを嘉讃す今の方丈是なり此時建圖を五枚しるして建營を乞奉るに
J19_0521A11: 其ころ内役をつとめらる法資攝心の案圖に定りしかば攝心をして別に掛りの役たらしむ又此後御成御門より三島谷角まて外圍練塀新規
J19_0521A12: に非常門をひらく又三島谷水道第二の元井戸より北永世御修復所となる同六午年九月八日浚明院
J19_0521A13: 殿御他界ましましければ土井大炊頭上使として三百
J19_0521A14: 部讀經の法會をひらかしめらる寬政二戌年三月十二
J19_0521A15: 日功成名遂るの故に隱退の願ひを朝にのべられしか
J19_0521A16: ば十七日上使として戸田采女正牧野備前守御差留の
J19_0521A17: 命をつたへらる同月廿六日ふたたび淸閑を得て西土
J19_0521B18: の望を達せんと辭職を奏せられしかば四月三日に兩
J19_0521B19: 上使許免の旨をのべらる五日麻布の隱室に移り單信
J19_0521B20: の稱名晝夜にすすみ六時の修行懈慢なしかねて縁山
J19_0521B21: 神明谷の一所に地をもとめられしかば其所に弟嗣雲
J19_0521B22: 應を持寮せしめらる地築は齋藤氏御馬屋預り田に住すより寄附
J19_0521B23: す靑地氏榮心院といへるもの御隱室所永世の資什の
J19_0521B24: 黄金を寄捨あり又柳營の女官老少貴賤となく師に歸
J19_0521B25: 信多かりしかば隱室の佛間莊嚴ことことく營中の女
J19_0521B26: 官の諸衆より寄附せらる佛天盖机燈籠花瓶燭臺其外悉く今在心室に殘れり本國の
J19_0521B27: 大守酒井雅樂頭師を敬崇ありて常に座下に法義を聽
J19_0521B28: 受あり其外諸國の刺史冠を傾け禮問殊に多し大厦の
J19_0521B29: 再營貴賤の歸敬豈高德のいたす所にあらさらむや同
J19_0521B30: 四子年閏二月廿六日神明谷に引移らせられて六月よ
J19_0521B31: り閑居室と稱す是統譽大僧正退職せられしゆへなり同八辰年七月九日正念
J19_0521B32: 亂れずしてかねて衆に別をつげ跡の事を書しるさし
J19_0521B33: め七日より念佛のみを業として別に世縁の事を聞給
J19_0521B34: はすかねて肖像を繪かかしめ形見のため法資にわか

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