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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0516A01: 第四十七世 心蓮社大僧正歡譽上人喜受天阿辨秀大
J19_0516A02: 和尚
J19_0516A03: 遠江國濱松の人父の名いまだ詳ならず正德元卯年濱
J19_0516A04: 松玄忠寺にいり快傳の弟子となり同三巳年正月十九
J19_0516A05: 日御當山に初入寺十七歳なり翌年三月下旬伴頭鑑歷
J19_0516A06: 寮に着す指南隨學其後光明寺に隨身せられ寬保三亥年十
J19_0516A07: 一月七日彼山より歸山し日夜講書論問怠りなくつゐ
J19_0516A08: に命ありて結城弘經寺に住す又飯沼弘經寺にうつり
J19_0516A09: てのち傳通院に轉し明和三戌年春縁山に住職し大僧
J19_0516A10: 正に任す是より會下の學業を策勵せしめ諸向の節儉
J19_0516A11: を專らとすべきむね命せらる制條を大衆に出され月
J19_0516A12: 行事の堅約を立らる此時傳通院一山の徒山主忍達の
J19_0516A13: 不正を訴ふ事あり會下在席の信惠をして出席をととめらる明和九辰年七月廿
J19_0516A14: 九日逝去あり辭職其外の事詳ならず
J19_0516A15: 第四十八世 到建社大僧正典譽上人凉如海智瑛初英
J19_0516A16: 大和尚
J19_0516A17: 伊勢國人父の名いまた詳ならず度會郡射和村延命寺
J19_0516B18: にいり廿八世空譽の弟子となり剃度し後當山三島谷
J19_0516B19: 白隨上人の室にいり修學し三席講演時につとめ學頭
J19_0516B20: にすすみ大念寺に住し又弘經寺にうつり後傳通院に
J19_0516B21: 轉し明和七寅年十一月十五日當山に住務し大僧正に
J19_0516B22: 任ず十八日入寺の儀表ありて十二月朔日拜謝登營せ
J19_0516B23: らる
J19_0516B24: 是まで筑後國善導寺住務を當山にて命ぜしを明和
J19_0516B25: 八卯年二月十一日今師の奏願によりて餘寺に混ぜ
J19_0516B26: ずして台命住職と定らる又安永元辰年嵯峨淸凉寺
J19_0516B27: 堯雲和尚池尻中納言暉房卿子息唐橋家猶子辭隱のあと此のち當山學席
J19_0516B28: よりと定められ俊嶺を月行事より撰出し一字を與
J19_0516B29: へ典嶺と改め彼寺に住せしむ
J19_0516B30: 安永二巳年二月廿五日入寂事蹟傳ふ事なし
J19_0516B31: 第四十九世 安蓮社大僧正豐譽上人民阿蒙光觸靈應
J19_0516B32: 大和尚
J19_0516B33: 近江國愛智郡君ケ畑村人父の名いまだ詳ならず同所
J19_0516B34: 金龍寺にいり剃髮し幼弱より好て佛墳を學せらるは

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