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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0507A01: 進ありて大僧正に任せらる廿五日入寺の儀式ありて
J19_0507A02: 廿八日謝任の登營あり師ひととなり道念堅確にして
J19_0507A03: 世相の紛華を見る事寇讎の如くされば寵榮に遭とい
J19_0507A04: へとも固より其志にあらず故に會下の衆徒の放逸
J19_0507A05: をただし寮舍の破壞を制せらる元文三午年七月晦日
J19_0507A06: 隱辭の事を奏達せられしかば八月五日上使牧野越中守大岡越前守
J19_0507A07: 命をつたへ止らる同年十一月十八日病重に職務た
J19_0507A08: へかねしを松平紀伊守に再願せられしかは廿一日免
J19_0507A09: 使ありけるにぞ廿五日麻布にうつり課佛禮懺淸素の
J19_0507A10: 風以て夙懷に協ふ同四未年十月十日吉祥にして遷化
J19_0507A11: 世壽七十四歳法臘六十二
J19_0507A12: 第四十二世 高蓮社大僧正尊譽上人天然了般大和尚
J19_0507A13: 備後國人姓氏いまだ詳ならず尾の道正受院にいり剃
J19_0507A14: 髮し了長と名く東關に下向し芝山に入寺ありしより
J19_0507A15: 常に貞譽了也公に學隨し數年の勤從うむ事なかりし
J19_0507A16: かはつゐに資嗣とせられけるいよいよ法問出精し解
J19_0507A17: 行卓絶にして世典の蘊妙をきはむ英名徒中に秀で
J19_0507B18: 德聲他山につたふ初め命によりて大念寺に住し次に
J19_0507B19: 大光院に轉し又光明寺にうつる元文三午年十一月
J19_0507B20: 廿二日召せられ十二月朔日御當山に擢撰入山し大僧
J19_0507B21: 正に任せらる住務の中山内の非律をただし梵行の僧
J19_0507B22: 徒をよみせらる此比は學業會下に勵策ありしかはまま高慢の族僧ありて其寮主の不熟あるをばなみし他の寮に
J19_0507B23: うつりなどせしかば是をいたみ給ひて猥の寮替を禁ぜらる又此比他山より所化多く當山に借寮し學業をはげみしかどその中にまま曲事
J19_0507B24: もありて徒黨せし事などもありしかば他山よりの寮を改られしにぞ他山の雲水交住する事减せり是に准し山内にても他寮に借寓をた
J19_0507B25: だされけれは一山能和平にして犯曲の訴なし又寮主の輩府内寺院に説法出精のものありしかば看寮を嚴重たらしめ町談義などの非規を
J19_0507B26: とどめらるされば一文字の席にすすめるものも學業不熟にて不相應たるは扇間の寺に住務すべきの嚴規を立らるここに於て宗徒自顧撫
J19_0507B27: 首を專としてあへて不正の名をはぢとして山制をおかさず學業をはけむもの多し延享二丑年二月五日
J19_0507B28: 山名因幡守へ隱辭の奏達あられしかば十六日大岡越
J19_0507B29: 前守山名氏と共に御差留の上使あり同七月再願に許
J19_0507B30: 可ましませしかば麻布にうつり同四卯年十月八日病
J19_0507B31: に寂せらる此日白光西天より寂處を照せりと云
J19_0507B32: 第四十三世 入蓮社大僧正走譽上人不如一阿連察大
J19_0507B33: 和尚
J19_0507B34: 江戸人父上坂增右衞門井伊掃部頭の藩臣なり後故あつて本多豐

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