浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0504A01: | 擢せらる世福法德のしからしむる所歟云云貞享二丑年十月被位を傳通院より |
J19_0504A02: | 縁山へうつし八部の階次を漸昇し三島中谷に持寮し |
J19_0504A03: | 自他の經論を講演し學徒の怠廢を策勵あり元祿十七 |
J19_0504A04: | 申年正月六日『華嚴原人論續解』三卷を述撰す新黑谷の寂仙上人 |
J19_0504A05: | 是が序を作せらる其外講錄疏記多しといへとも學徒の秘庫に薀 |
J19_0504A06: | 收し板開の流布をゆるされす靈巖寺に撰住せらるる |
J19_0504A07: | の後は檀信の歸敬深く一山の衆徒和合歸伏す後弘經 |
J19_0504A08: | 寺に轉し又光明寺にうつる享保十一午年二月廿二日 |
J19_0504A09: | 台使に出府し三月三日縁山に住主す年六十八即席大僧正 |
J19_0504A10: | の寵榮をたまはり十五日職任の御禮登營あり此後山 |
J19_0504A11: | 内にて廢蕪に及へる祠社を經繼し中絶の學業を興隆 |
J19_0504A12: | す同年冬より布薩式を興行せらる是より永式同十三申年 |
J19_0504A13: | 傳受佛土藏共に山に寄附し同十五戌年本堂方丈の兩 |
J19_0504A14: | 本尊を再興し勸學所を大座敷に引翌年黑本尊堂を松原に建護念 |
J19_0504A15: | 堂と名く同十七年七月朔日退職の奏達を寺司西尾隱 |
J19_0504A16: | 岐守へ出さる九月留命の上使井上河内守西尾隱岐守八月十二日再 |
J19_0504A17: | 願を司に井上氏達せらる廿二日免使井上河内守松平玄蕃頭廿五日麻 |
J19_0504B18: | 布の隱室にうつり十二月五日遷化八十歳『長傳寺記』云本山第三十九 |
J19_0504B19: | 世學譽大僧正の舌齒骨あり舌は綿のごとくにて形腐爛せず骨は舍利となれり |
J19_0504B20: | 系 |
J19_0504B21: | |
J19_0504B22: | 元季田中藤兵衞 本勢州仙臺浪人 居葛西村 元近佐次兵衞仍病戾實家實(松平伊豆守家中)松井治部右衞門子 女養子佐次兵衞妻後仕太田氏生二女 寶永四亥年三月四日沒葬靈岸寺號法照院苑譽淸琳比丘尼 女 冏鑑 女太田忠鄕後妻(忠鄕死後享保八年十月鎌倉光明寺ニテ剃髮號靈照院淸譽香山) 女太田小左衞門忠鄕妻(天和二年十一月沒葬長龍寺號馨光院華景淸心) |
J19_0504B23: | 第四十世 航蓮社大僧正衍譽上人慈空順故利天大和 |
J19_0504B24: | 尚 |
J19_0504B25: | 常陸國下館人父藏持次郞右衞門母岡見氏其先小田家 |
J19_0504B26: | に族藩として數百貫を領せり太田三樂當國を攻戰け |
J19_0504B27: | る時知行を奪れしかば流民となれりもとより父母三 |
J19_0504B28: | 寶を信し僧尼を歸敬せしかは小兒之を見て沙門の高 |