浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0503A01: | 郡小片野といへる里にうつり木村賴母介と改め醫をふりとして世を安く暮しける妻をむかへ二男一女をうめり其子又父のあとをつぎけ |
J19_0503A02: | るに承應三年午二月七日に一子を生む此時同氏常陸介の末葉落來りて客となり居けると少しなかたがふ事ありてひそかにかのものの爲 |
J19_0503A03: | にうたれければ家も妻も其ものの所屬とはなれりけれともとより妻のものかのまろうどど心を合せしと國人もいひあへり此時小兒五歳 |
J19_0503A04: | 東西の分ちなく後の父をまことと思ひ朝暮孝行をつくしけれと日にましうとく成行つつ十一歳のころはいとうしろめたき事どもおほか |
J19_0503A05: | りければついにのがれて射和村の延命寺にいりしかしかのむねをのべ剃度を乞ければ寺主もふびんに思ひ剃髮せしめ其後江戸に下向せ |
J19_0503A06: | しめ廣譽詮雄上人の許にて修學し德高く解熟して檀林に選擧せられ給ひしとなむ在寮のはしめより内 |
J19_0503A07: | 外の典籍に意をゆたね螢雪の功空しからす席講すき |
J19_0503A08: | 一文字にすすみ月行事の職をつとめ論講法問扱捌な |
J19_0503A09: | どの席務を終り學頭の職より靈山寺に住し次に大光 |
J19_0503A10: | 院に轉し又光明寺にうつり享保二年二月十三日奉書 |
J19_0503A11: | にめされ廿一日縁山に貫主として大僧正に任せらる |
J19_0503A12: | この時年六十歳廿八日繼目御禮として台顏に謁し奉 |
J19_0503A13: | らる四月章廟一周忌御法會導師をつとめらる同四亥 |
J19_0503A14: | 年九月了譽上人三百回忌報謝法問あり冏公頌文來時迷來の四句論題 |
J19_0503A15: | 今年表門の橋を改造もと三間六間に改む南谷神明谷に石垣土堤 |
J19_0503A16: | をきつく十一月中興國師百年忌千部並に一文字法問 |
J19_0503A17: | を修し大會を行はる同七年四月十箇の制條を出され |
J19_0503B18: | 寺院所化の説法者の卑劣勸化を誡めらる又本山知恩院然譽了鑑上人 |
J19_0503B19: | よりも別に九ケ條を出さる同十巳年十二月六日辭職を寺社司松平相模守へ |
J19_0503B20: | 奏達せらる十四日留止の上使松平相模守黑田豐前守あり同十一年 |
J19_0503B21: | 二月五日再願を達入せられしかは十四日免使太田備中守黑田豐 |
J19_0503B22: | 前守許命をつたへらる十六日麻布に退隱しひとへに有 |
J19_0503B23: | 爲無常の境界をいとひ頻に淨國の快樂をねかひ念佛 |
J19_0503B24: | 安禪怠りなくして同十五戌年六月廿一日或は八月二十日歸寂 |
J19_0503B25: | す春秋七十五法臘六十二塔を累代の並に建 |
J19_0503B26: | 第三十九主 演蓮社大僧正學譽上人一呼酉阿冏鑑大 |
J19_0503B27: | 和尚 |
J19_0503B28: | 江戸の人父は田中佐次兵衞元近實は松井氏なり師名 |
J19_0503B29: | つまびらかならずはしめ小石川傳通院に修學し學行 |
J19_0503B30: | の名はやくあらはれ顯密の敎練貫せずといふ事なし |
J19_0503B31: | わきて『楞嚴』『圓覺』の至理を綜究し禪林叢軌を專 |
J19_0503B32: | らとせらる『桂華漫筆』云學譽上人は母に孝深く幼してより父にはなれしかは朝暮の給仕大人も及かたく法師になりての |
J19_0503B33: | のちも其孝たとふるにものなし母をおひて秩父西國の方にたのしましめ宿にいれは臥具飮食をは他人にまかせずみづからやつれしを勞 |
J19_0503B34: | なきふりにかしづきける後母をおくりて道心いよいよ堅固にて追福を修せられいつとなく德行すくれ官僧綱の極職をきはめ學自他の宗師に |