浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0497A01: | し數年にして牛島にかへり淨業に孜孜として佛號を |
J19_0497A02: | 書寫する事日日に數百幅故に師の染號海内に風靡す |
J19_0497A03: | 東西の貴賤南北の緇素歸依崇服せすといふものなし |
J19_0497A04: | 桂昌院殿其道名をききしはききしは使命ありて道をとひ |
J19_0497A05: | 信敬尤あつし元祿十二卯年台命により例を超へ生實 |
J19_0497A06: | 大巖寺に住せらる慶元御掟制ののち衡門より檀林に |
J19_0497A07: | 住する事是初なり翌年又命により弘經寺に移り紫衣 |
J19_0497A08: | を着せらる寶永元申年又命ありて傳通院に主たり此 |
J19_0497A09: | 時列侯縉紳藩士大夫をはしめ都人士女田農野夫に至 |
J19_0497A10: | まて街衢に絡繹として來往し師の敎化をこひ求めす |
J19_0497A11: | といふものなし憲廟常に營中にめし其法論の幽源深 |
J19_0497A12: | 妙を聽信したまへり文廟又常に西の殿にめされ法諮 |
J19_0497A13: | 允重なり世子智幻院殿理岸院殿の遺體を傳通院に葬 |
J19_0497A14: | し給ふ又是より先に早夭早世ありし淸壽院殿淸華院 |
J19_0497A15: | 殿を天德寺常泉寺より改めて傳通院に葬櫃したまふ |
J19_0497A16: | 是みな師に歸敬厚順なし給へる故也知恩院尊統法親 |
J19_0497A17: | 王師の風敎を欽慕し給ふ事久し始て東都に入御の時 |
J19_0497B18: | 儼然として傳通院に辱臨し終日法話をうけ手書の名 |
J19_0497B19: | 號を數十幅こひ歸洛の後之を仙洞女院及ひ公卿縉紳 |
J19_0497B20: | にたまへり正德元卯年十一月廿七日命により縁山に |
J19_0497B21: | 貫主たり十二月六日登營即席大僧正に任せらる八日 |
J19_0497B22: | 入院の式あり十五日住職任官の御禮あり即席任官の始同二 |
J19_0497B23: | 年文廟御惱有官醫方を失ひ冠盖幣を奉瘳を靈社佛神 |
J19_0497B24: | にこひ求むと雖も其驗空しく既に大漸に及ひ給ひし |
J19_0497B25: | 時命ありて師をして黑本尊を奉持せしめ殿中に於て |
J19_0497B26: | 供恭瞻禮し師の念珠手書の名號をとり給ひ十念をう |
J19_0497B27: | け給ふ十月十四日薨御ましましけれは遺命を奉し師 |
J19_0497B28: | 導師をつとめ玉ふ奉葬の夕天氣淸朗として寶輦のい |
J19_0497B29: | たる所天樂四方にきこへ雨花繽紛たり天華地に落變 |
J19_0497B30: | して舍利となる都人士女爭ひもちて是を得受する事 |
J19_0497B31: | 無數百千萬粒なり御中陰萬部の御法會大導師として |
J19_0497B32: | 勅脩の高會特に師に唱首を命せらる黄檗の悅峰禪師 |
J19_0497B33: | 東都に入覲し師に謁して云吾故國に在て久く師の道 |
J19_0497B34: | 譽をきき且又手書の佛號を拜す今幸に芝眉に接し法 |