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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0497A01: し數年にして牛島にかへり淨業に孜孜として佛號を
J19_0497A02: 書寫する事日日に數百幅故に師の染號海内に風靡す
J19_0497A03: 東西の貴賤南北の緇素歸依崇服せすといふものなし
J19_0497A04: 桂昌院殿其道名をききしはききしは使命ありて道をとひ
J19_0497A05: 信敬尤あつし元祿十二卯年台命により例を超へ生實
J19_0497A06: 大巖寺に住せらる慶元御掟制ののち衡門より檀林に
J19_0497A07: 住する事是初なり翌年又命により弘經寺に移り紫衣
J19_0497A08: を着せらる寶永元申年又命ありて傳通院に主たり此
J19_0497A09: 時列侯縉紳藩士大夫をはしめ都人士女田農野夫に至
J19_0497A10: まて街衢に絡繹として來往し師の敎化をこひ求めす
J19_0497A11: といふものなし憲廟常に營中にめし其法論の幽源深
J19_0497A12: 妙を聽信したまへり文廟又常に西の殿にめされ法諮
J19_0497A13: 允重なり世子智幻院殿理岸院殿の遺體を傳通院に葬
J19_0497A14: し給ふ又是より先に早夭早世ありし淸壽院殿淸華院
J19_0497A15: 殿を天德寺常泉寺より改めて傳通院に葬櫃したまふ
J19_0497A16: 是みな師に歸敬厚順なし給へる故也知恩院尊統法親
J19_0497A17: 王師の風敎を欽慕し給ふ事久し始て東都に入御の時
J19_0497B18: 儼然として傳通院に辱臨し終日法話をうけ手書の名
J19_0497B19: 號を數十幅こひ歸洛の後之を仙洞女院及ひ公卿縉紳
J19_0497B20: にたまへり正德元卯年十一月廿七日命により縁山に
J19_0497B21: 貫主たり十二月六日登營即席大僧正に任せらる八日
J19_0497B22: 入院の式あり十五日住職任官の御禮あり即席任官の始同二
J19_0497B23: 年文廟御惱有官醫方を失ひ冠盖幣を奉瘳を靈社佛神
J19_0497B24: にこひ求むと雖も其驗空しく既に大漸に及ひ給ひし
J19_0497B25: 時命ありて師をして黑本尊を奉持せしめ殿中に於て
J19_0497B26: 供恭瞻禮し師の念珠手書の名號をとり給ひ十念をう
J19_0497B27: け給ふ十月十四日薨御ましましけれは遺命を奉し師
J19_0497B28: 導師をつとめ玉ふ奉葬の夕天氣淸朗として寶輦のい
J19_0497B29: たる所天樂四方にきこへ雨花繽紛たり天華地に落變
J19_0497B30: して舍利となる都人士女爭ひもちて是を得受する事
J19_0497B31: 無數百千萬粒なり御中陰萬部の御法會大導師として
J19_0497B32: 勅脩の高會特に師に唱首を命せらる黄檗の悅峰禪師
J19_0497B33: 東都に入覲し師に謁して云吾故國に在て久く師の道
J19_0497B34: 譽をきき且又手書の佛號を拜す今幸に芝眉に接し法

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