ウィンドウを閉じる

J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0494A01: 嬰りしかは台使繼至て勞問し官醫相仍て治を計す此
J19_0494A02: 時師の生氏大八木氏傳庵といふを召出され二百戸を給ふ
J19_0494A03: 是師の神をよろこはしめたまはんとなり四月三日寂
J19_0494A04: 滅す世壽八十臘六十八大君悼惜し盤饍を减したまふ
J19_0494A05: 仍て台使松前氏を以白銀二千兩を給へり山内心光
J19_0494A06: 院に葬し又累代の塔に並ふ官女豐小路石燈檠及石水盤を塔前に置造あり『諸
J19_0494A07: 德賛』云鬱鬱千仭松貞德彰淸世徽號孝元祖重任錫
J19_0494A08: 後裔
J19_0494A09: 第三十三主 信蓮社詮譽上人良阿淸風白玄大和尚
J19_0494A10: 江戸人寬永四年生姓氏不詳或云父は宮城平右衞門正業とて駿河家にて四百石を給ひ目付を
J19_0494A11: 勤けるに寬永九年中秋何となく世上の風評ありしかは一子をひそかに伊豆國下田は舊里なりしかは母子ともに是におくりけるに其冬し
J19_0494A12: も父は播磨國明石に謫せられ同十一年正月六日配所にて身まかりしかは此子をひそかに出家せしめんと父か知音なりける上人に送りけ
J19_0494A13: ると路白上人の室にいり剃染す修學功滿戒臘首座に至
J19_0494A14: りて蓮馨寺に住し弘經寺に轉し光明寺にうつる元祿
J19_0494A15: 十二卯年閏九月廿九日縁山の貫首に撰任す此時法兄
J19_0494A16: 秀道上人花頂山に住務す法の兄弟同時に宗權を得翌
J19_0494A17: 年世壽七十三病軀勞疲ありて七月二日に遷化す天光
J19_0494B18: 院にて葬事あり或書云師は伊豆國下田の人なり始松崎淨仙寺に出家す然に其師匠たるもの懶怠無德にして法義
J19_0494B19: を敎誡せさりしかは師薪折の功も空しからんと密に寺をのかれ關左にこころさし同國の知音路白上人の室にありしをとひゆきて隨從せ
J19_0494B20: られければ路白公もその純學を嘉讃し宗の幽玄他門の行業を傳へられしとなむ
J19_0494B21: 法流
J19_0494B22: 觀智國師の資隨波定譽委出于前 傳譽燈蓮社筑前寶傳寺中興 路白誓蓮社本譽增上寺廿四世 巖宿廣蓮社信譽縁山廿九世 檀通合蓮社明譽光明寺住 白玄 秀道本蓮社白譽知恩院住 雲臥縁山三十四世 祐天明蓮社顯譽祐天寺開山
J19_0494B23: 第三十四世 眞蓮社大僧正證譽上人獨淸雲臥大和尚
J19_0494B24: 江戸番町の人姓長田氏麴町栖岸院にいり玉譽恢龍上
J19_0494B25: 人を師とし修學精業す法を路白上人につきて論議の
J19_0494B26: 達匠たりいまた在寮の比机によつて晝眠りせられし
J19_0494B27: 時江漢禪人來りて雲臥晝不起といはれしに其聲に應

ウィンドウを閉じる