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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0493A01: の法を修求す是より學業心のままに進む頗る時譽を
J19_0493A02: 負ふ萬治元戌年春上人の號を賜ふ寬文十二子年十一
J19_0493A03: 月十八日古巖上人に布薩を受くはしめ大巖寺に住し
J19_0493A04: 次に弘經寺を經また傳通院にうつり元祿五申年二月
J19_0493A05: 廿四日芝山に管主たり年六十四憲廟の崇欽たくひなくし
J19_0493A06: ばしば營中に請し道敎を諮問し給へり或時大君師の
J19_0493A07: 手をとりて便殿に送りたまふ師極めて辭せられしか
J19_0493A08: は大君宣く常に道誨を聞法恩を荷負する事太だ重し
J19_0493A09: と又桂昌院殿も師の勸導により益益念佛を專修した
J19_0493A10: まふ同七戌年閏五月十二日大君御遊參として方丈の
J19_0493A11: 新御殿に入御即日大僧正に任せらる是より宗門永世
J19_0493A12: の德榮とす同八年四月廿三日大夫人抂駕道をとひ御
J19_0493A13: 手つから翰を染國歌二首を給へり美作國誕生寺は宗
J19_0493A14: 祖大師降生の靈地たり中古浮田家の破却ののち慶長
J19_0493A15: 以後再創ありしかといまた封戸なし師これを夫人に
J19_0493A16: ときのち大君に告奉りしかは齋食の邑五十石を賜寄
J19_0493A17: し給へり同九子年十月六日師登營し宗祖大師の徽號
J19_0493B18: を請奉らる便ち帝に奏達し圓光大師と諡なす本山秀道上人
J19_0493B19: 會津矦保科氏松平の姓を請此矦の爲に奏請せられし
J19_0493B20: かは便ち給ふ同年より本堂三門其外の御修復あり同
J19_0493B21: 十丑年八月落慶す十月二日大君御造營祝辭として大
J19_0493B22: 君入御同年十二月十日靈仙院殿逝去葬送師御導師を
J19_0493B23: つとめらる同十二年卯九月廿八日老病を以辭職七十一歳
J19_0493B24: 麻布の禪房に退伏す時に台使ありて綿絮二百蒸屑餌
J19_0493B25: 一櫃を給ひ柳澤出羽守を以て賜賚甚多し是より後も
J19_0493B26: 常に台使ありて起居を訊しばしば營中に延道敎を求
J19_0493B27: め給へり同十六年十月十八日台駕禪房をとひたまふ
J19_0493B28: 此前後常に成らせられ道器數箇を給へり寶永元申年
J19_0493B29: 八月又湯島大根畑に閑室を構へ別に二百戸を給へり
J19_0493B30: 是雲臥大僧正麻布に隱棲し給ふ故に別の恩榮なり同
J19_0493B31: 二年六月大君母桂昌院殿薨去大君哀慟し追福を師に
J19_0493B32: 求め命とし又御遺言として隱身にて御導師たり同五
J19_0493B33: 子年滿八十黄檗山悅峯禪師來て一偈を呈す娑婆化導因僧正蓮界華
J19_0493B34: 中度有情檻外風敲松徑秀庭前花散石床平德臘化城當八十道光妙算已三生我來東國同師慶預悅岡陵佛壽成其のち疾に

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