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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0485A01: 第二十六世 頓蓮社森譽上人善阿歷天大和尚
J19_0485A02: 氏産詳ならす或云眞野豐後守賴包か庶子にして大坂に出生後ひそかにのかれ出剃髮すと云幼年にし
J19_0485A03: て出塵しはやく修學の功をきはめ關左に遊錫し縁山
J19_0485A04: に熟練し法問講釋階級をすすみ衆長の伴首として大
J19_0485A05: 巖寺に住し又大光院に移りていよいよ宗徒を敎育示
J19_0485A06: 導し寬文九年七月命によりて縁山に貫主たり延寶元
J19_0485A07: 年十二月三日麻布に隱屏し翌四日入寂す六十七才在
J19_0485A08: 住五年
J19_0485A09: 第二十七世 壹蓮社乘譽上人涼風珂天大和尚
J19_0485A10: 相模國筑井縣の人或云渡邊氏父内藏助大阪に籠城し
J19_0485A11: 主君秀賴公のため一族皆討死を極めしかは童子九歳
J19_0485A12: めのとの縁にのかれ相模國にうつりて民家にかくれ
J19_0485A13: よき主家にもつかへ家名起すへきむねめのとすすむ
J19_0485A14: といへとも父祖悉く討死をとげしかば主家先考一族
J19_0485A15: 郞從の出離苦海を祈り共に修羅の岐にまよひなんを
J19_0485A16: 悲しみ十三才にして瀧山大善寺にいり修學し後芝山
J19_0485A17: にうつりて愈愈學行を修精すされはひとへに世塵を
J19_0485B18: いとひ般舟の一行に志をきはむといへとも徒衆又其
J19_0485B19: 隱遁せんをはかりて頻に講説敷演をこひ年序うつり
J19_0485B20: ゆくに年たけ老近くならんころ官命ありて結城弘經
J19_0485B21: 寺に住す又程もなく飯沼に轉擧せられ後光明寺に補
J19_0485B22: 職す延寶元年十二月芝山に貫主たり同三卯年四月廿
J19_0485B23: 四日辭職退山し麻布に隱移し同四年辰六月十三日歸
J19_0485B24: 西す行年七十
J19_0485B25: 第二十八主 深蓮社廣譽上人直心蓮阿良海詮雄大和
J19_0485B26: 『高僧傳』には詮翁につくる
J19_0485B27: 江府の人父は忍行田城番石野新藏廣繼なり『東武實
J19_0485B28: 錄』云寬永二年十二月石野新藏廣重十二才武州播澤郡
J19_0485B29: 半澤郡今泉村に於て釆地千石を賜る父新藏廣次卒する時廣重僅に八才祖父新
J19_0485B30: 左衞門廣光より父廣次に至る二代忍の城を守るといへとも廣重幼年たるによりて是を辭して江戸に來る祖父廣光か舊功を思召出され今
J19_0485B31: 廣重若年たりといへ共食邑千石を賜はる家嫡ゆへ父母出家をゆるさすしかり
J19_0485B32: といへとも小兒泣涙やますして自ら薙髮に及ひしか
J19_0485B33: は其願をみてしめんとす其頃熊谷驛に蓮生庵といへ
J19_0485B34: る直實入道蓮生居城の前に庵を結び念佛弘通し上品

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