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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0483A01: 修興行の所以なり萬治二年十一月辭職靑山梅窓院に
J19_0483A02: 閑居し同三年正月廿一日寂す報命六十二在住八年
J19_0483A03: 第二十四主 誓蓮社本譽上人重阿露白大和尚
J19_0483A04: 相模國人小田原の人姓は蔭山氏『鎭流傳』の七(八右)に下總といふはいまた詳ならす案
J19_0483A05: るに貴屋公と傳異あるか都て餘師の傳にも異あり 其始父母地藏尊に祈り祥兆を感
J19_0483A06: し娠むと云天正十六年十月誕生の日勝應あり同十八
J19_0483A07: 年國主氏直朝臣國を失ひたまひし時伯父の由緖によ
J19_0483A08: り父母江戸に移すへしと定りしかと故ありて父母共
J19_0483A09: に死去せしかは其後八才にして伊豆國へ罷下り藥王
J19_0483A10: 善知のなさけによりて剃髮し下總國小金東漸寺に入
J19_0483A11: 圓應和尚を拜し淨門の衆に列す朝磨夕竅し楞嚴圓覺
J19_0483A12: の骨髓に徹し『維摩起信』の幽門に通す十八歳にして
J19_0483A13: 寺を辭し上毛國義重山の呑龍公いまた瀧山大善寺に
J19_0483A14: 住せられしに値隨修學し道業ここに策勵す宗徒其高
J19_0483A15: 風に伏し戒師とせすといふ事なし始淸撰を經て小金
J19_0483A16: 東漸寺に住す娑界の無常身軀の不堅をかなしみ專ら
J19_0483A17: 淨業を增進せんか爲寶臺院にうつり住紫服の光榮を
J19_0483B18: 盛とせず偏に安養の寶刹を棲身の所欣とし寺務禮誦
J19_0483B19: のいとまには講説開演をつとめ緇白の慧解をさとす
J19_0483B20: 然るに大樹尊君を始め尾侯亞相敬公水侯黄門威公頻に敬重崇あ
J19_0483B21: りて大光院に轉ぜしめ又光明寺に主たらしむ萬治二
J19_0483B22: 『本傳』には元年戊戌とあり十一月廿六日七十二才にして縁山に貫
J19_0483B23: 主となり一宗の統錄司たり寬文二寅年九月十七日隱
J19_0483B24: 栖辭職有しかば官命ありて四方の絶景壯觀の地を求
J19_0483B25: めしめ給ひて麻布一本松の地を隱栖の所にたまひ造
J19_0483B26: 營又官よりひらく『直〓』か作れる傳に霜辛雪苦不論時節殿堂門廡早成疱簾井竈備矣於是移重阿老和尚使增上
J19_0483B27: 寺隱居爲元祖云云是より永く當山の隱室となり山水の望遠近に
J19_0483B28: 卓秀す同四申年九月廿八日酉の刻門弟子並僧俗數十
J19_0483B29: 人をあつめ高聲に佛號を唱へ諸人に助和せしめられ
J19_0483B30: しに諸聲みな嗄師ひとり衰へす頭北面西端然として
J19_0483B31: 遷化す春秋七十七法﨟六十七在職三年
J19_0483B32: 第二十五世 乘蓮社頓譽上人心阿正心智哲大和尚
J19_0483B33: 美濃國人姓戸田氏慶長七年誕生す故ありて京師に長
J19_0483B34: 養せしめ稱名寺に剃髮す『惣系譜』の中に戸田氏と云『高僧傳』の七に源氏戸田左衞門尉とあるは不

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