浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0482A01: | 十三回御法事萬部御法會惣奉行松平伊豆守同九月十五日崇源君 |
J19_0482A02: | 三十三回御忌萬部同三年五月老病の由にて再三隱退 |
J19_0482A03: | の事を奏し奉けれは命として先良純法親王を當山の |
J19_0482A04: | 御殿に移し給ひ初て隱居の資糧として二百石を賜ふ |
J19_0482A05: | 其後三たひ密に成らせられ遺意あらば必す酒井忠勝 |
J19_0482A06: | に申へしと云云還御ののち寺職を位産たらしめん事 |
J19_0482A07: | を乞奉る同年六月廿日終に西方を望み詩を賦座化す |
J19_0482A08: | 七十二歳或云當山國師より今師に至るまて柳營家へ出仕の時御玄關まて乘輿ありしを凡僧として一天の主將准仙洞の高閣 |
J19_0482A09: | に禮奉としてこの事おそれありとて頻りに辭せられけれは執政の列侯是を可なりとして永規相やむと云云むへなるかな末世薄德の凡僧 |
J19_0482A10: | としていかてか是をつつしまざるへき近世まま多評やまさりといへとも今師の慮考正可と謂へし又或云流譽上人の時ともあり |
J19_0482A11: | 第廿二世 天蓮社曉譽上人還阿位産大和尚 |
J19_0482A12: | 姓産詳ならす或云信濃國人諏訪氏の末流鹽尻氏の子と云初幡隨上人に隨ひ習 |
J19_0482A13: | 學し宗戒二脈を禀得の後下谷に壽永寺をひらき般舟 |
J19_0482A14: | の別塲とす後又結城還無上人の座下に練學しつゐ |
J19_0482A15: | に蓮馨寺光明寺傳通院を歷經し慶安三年縁山に住 |
J19_0482A16: | 務の命あり翌年四月廿日猷廟薨御ましましける時 |
J19_0482A17: | かねて安藤右京進重長松平出雲守勝隆を上使とし |
J19_0482B18: | て台廟公の御廟前に告使ありしかはつゐに日光山に |
J19_0482B19: | 御葬事あり此時萬部の御法會を仰付られ本堂に於て |
J19_0482B20: | 寺院の諷經あり承應元年八月廿日身まかる壽六十有 |
J19_0482B21: | 六 |
J19_0482B22: | 第二十三世 森蓮社遵譽上人直爾貴屋大和尚 |
J19_0482B23: | 國産詳ならす或云下總國長岡の人初摘木村光明寺に剃度し後諸山に遊學しつゐに了聞師に從衞し無絃公に嗣法す |
J19_0482B24: | と云學席極﨟の魁首となり命を奉幡隨院に住し又大光 |
J19_0482B25: | 院に移り後傳通院に轉し承應元年九月芝峯に擢擧せ |
J19_0482B26: | らる明曆二年三月湯治を願はれ塔の澤に趣かる彼地 |
J19_0482B27: | より執政家へ書をおくられしかは雅樂頭忠淸朝臣伊豆 |
J19_0482B28: | 守信綱朝臣豐後守忠秋朝臣美濃守正則朝臣よりの御 |
J19_0482B29: | 奉書あり文略す又塔の澤へ着到御尋として上意の御奉 |
J19_0482B30: | 書右四名にて是を給はる是又返簡を遣さる同年八月 |
J19_0482B31: | 廿九日上京參内す其用途官より賜り又留守中防火の |
J19_0482B32: | 鎭衞として兩士内藤彌三郞伊東主膳交代相詰地内勤番を仰付ら |
J19_0482B33: | るるの旨酒井松平阿部三家の奉書八月六日給れり都 |
J19_0482B34: | 鄙ひとしく法乳を受くけだし是德行戒譽の致す所專 |