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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0481A01: 三縁山志卷十
J19_0481A02: 會下三島中谷攝門編
J19_0481A03: 第二十世 良蓮社南譽上人慈眼雪念大和尚
J19_0481A04: 姓氏つまひらかならす或云初禪徒にして甲斐國巨摩
J19_0481A05: 郡龍王村慈昌寺に住せり曹洞の風儀弊怠なるをいと
J19_0481A06: ひて東武靑松寺に來りて坐定熟學を志さしける時觀
J19_0481A07: 智國師智德高逸なるをきき少しく偏執の見を起し座
J19_0481A08: 下に入て其樞穿をこころみ問答論議して高貴の歸敬
J19_0481A09: を自得せんと縁を求め門生となり朝昏其ひまを伺け
J19_0481A10: るに禮佛誦經專ら無我の正見にして階德及かたき事
J19_0481A11: をしりてつゐに慢鼻高識をくぢき眞正の資嗣として
J19_0481A12: 法義を弼くされは此後專ら禪淨無二の高味をなめ常
J19_0481A13: に柳營の講會に列なり論義の英士たりもとより智解
J19_0481A14: 卓然として『圓覺』『楞嚴』の幽賾を搜求し權小の性相
J19_0481A15: を括行德行純の譽都下にみちけれは命によりて飯沼
J19_0481A16: 弘經寺に擧職せられ紫衣を着して法幢をたつ寬永十
J19_0481A17: 六年二月他山を經すして直に縁山貫主に命せられ翌
J19_0481B18: 年四月十日より『楞嚴』を講せらるる時は聽徒三千に
J19_0481B19: みつ一七日に及ひ護法の神龍經藏の棟甎の上に現れ
J19_0481B20: 虔て講をきく又第七日毎に龍燈芝浦に湧き縁嶺の沖
J19_0481B21: にあらはる合會咸く嘆異せすといふ事なし諦譽貞超云今師『楞
J19_0481B22: 嚴』を講釋時三門の十六羅漢を本堂に移し其中にて講すと又靈玄上人云師いまた縁山學寮にて『楞嚴』講釋時語て云昔雪念和尚三門の羅
J19_0481B23: 漢を本堂に移して此經を講せられしは講演義式の一なり惣して我宗に『楞嚴』を講するには五箇の口傳ありと同年九月十
J19_0481B24: 八日念佛し座せられしままにて安祥として遷化す此
J19_0481B25: 時紫雲房上に靉靆すと云春秋六十七歳淨家に歸入の
J19_0481B26: のち法臘五十
J19_0481B27: 第廿一世 辨蓮社業譽上人空脱還無大和尚
J19_0481B28: 江戸の人姓つまひらかならす或云麾下土岐氏の庶子とはしめ禪家
J19_0481B29: に入剃度し後幡隨上人の門に遊ひて宗敎の蘊奧をし
J19_0481B30: る熟學嗣法の後衆擧の撰に應し結城弘經寺に住職し
J19_0481B31: 又光明寺に管主たり寬永十七年十二月縁山に轉職
J19_0481B32: す翌年不意に召れて登城ありし時其日竹千代君安泰
J19_0481B33: にして降誕ましましけれは猷君殊に此奇遇を喜悅な
J19_0481B34: し給ひ尊敬他に異なりき慶安元年子正月十九日台廟

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