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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0479A01: といふかる若本形を顯し龍身の力量を證知せしめは
J19_0479A02: 實に所願を滿しめんさなくは小女の假質他見もはば
J19_0479A03: かるべしと是に於て化女一滴の水を掌中にこひ禀倐
J19_0479A04: 忽として堂下に白浪を漲らし龍形を現す少選にし
J19_0479A05: て人相にふくす師うたかひとけ宗法圓戒をさづけ惣
J19_0479A06: 別の秘傳を與ふ又譜脉を乞しかは期るに明日池上に
J19_0479A07: 贈らん事を以てす翌日弟子玄恕隨縁淸波の三哲に命
J19_0479A08: し譜脉を躑躅か池の上に擲與ふるに靑龍形を現し
J19_0479A09: 出是を角の間に戴て淵底に入見聞の道俗希歎せずと
J19_0479A10: いふ事なし是に於て諸人の歸敬渴仰せん事をいとひ
J19_0479A11: 寺を辭し諸國に遊ひ寺宇の廢絶を興す武藏國小塚原
J19_0479A12: 誓願寺の廢亡を中興し駒込に常泉寺をひらき小石川
J19_0479A13: に玄覺寺を創建す寬永二年命により傳通院に住し般
J19_0479A14: 舟のいとま龍閑寺を神田龍閑町にひらく『龍閑寺』の記云本多下總守
J19_0479A15: 俊次朝臣の二男病身なりしかは上人の室に入遊客たり然るに其後成長し堅體となりしかは猷廟に奏し旗下たらん事を乞けれは三百石を
J19_0479A16: 賜はれり今當寺の檀家と云云同十一年三月奉鈞命縁山第十八の貫首
J19_0479A17: たり猷廟の寵遇孔た渥し同十二年正月末北谷に瑞花
J19_0479B18: 院の廢絶せるを中興し弟子春可に住せしむ又命あり
J19_0479B19: て本堂鐘樓浴室方丈齋殿に至まて再建させられ洪鐘
J19_0479B20: をかけ新領四千石を加へらる同年九月十日春秋七十
J19_0479B21: 三歳にして望西趺座し入寂す『賛』熏公云德化龍女道傳
J19_0479B22: 英才滔滔是者浴慈波來
J19_0479B23: 第十九世 天蓮社登譽上人志白智童大和尚
J19_0479B24: 武藏國淺草の人なり或云父は山口好景母は加藤氏天正二戌年三月誕
J19_0479B25: 生父母はしめ三河國渥美郡に住す後江戸に移住す文
J19_0479B26: 祿二年師二十才にして淺草法源寺聞諦上人に隨ひ剃
J19_0479B27: 髮受具す後老師駿府寶臺院に移住し給ふに從ひ隨
J19_0479B28: 衞し世法を弼務す性昏窒慧辨鋭ならず激志を起し相
J19_0479B29: 州大山不動尊に詣水糓を斷し敏利を邀む一七日の遲
J19_0479B30: 明に覃夢むらく明王鏡をのましむと是より俊朗の名
J19_0479B31: かくれなし又江嶋に詣轉貧の軌を修す天女夢中に
J19_0479B32: 現しみつから密旨をさつく島司上坊今にいたり其軌
J19_0479B33: をつたふ是より學資饒富なりしかと有に著する事な
J19_0479B34: く貧士にわかち學資として敎育す初め師寶臺院に隨

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