浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0476A01: | 永正天文の頃宇田川和泉守の妾一子を産む時本室是 |
J19_0476A02: | をいかり家臣蛇窪帶刀に命し殺すへきの密約有しか |
J19_0476A03: | ば蛇窪己が子にして是をそだつ此子才學ふかく利器 |
J19_0476A04: | 武術に長し其家をつぎしかと其後故ありて仕へを |
J19_0476A05: | やめ己がしれる所に蟄居し心を釋門によせけるに |
J19_0476A06: | 永祿五年の春一子を生育せしかば初は武術をおしへ |
J19_0476A07: | 再ひ家を起さしむへきなりしを此子淸信柔和塵裏を |
J19_0476A08: | いとひて出家をのぞみけるにそ父もほいなくわか先 |
J19_0476A09: | 考の祭事の絶なん事をかなしみけれど世は如幻如夢 |
J19_0476A10: | なりといまだ心定らざりける頃同國岩槻淨國寺開 |
J19_0476A11: | 祖淸巖上人品川願行寺にいたり今東海寺の地なり十夜の法要説 |
J19_0476A12: | 法ありしかは父子是に詣で西方の要路厭欣の旨をさ |
J19_0476A13: | とりてつゐに巖公に隨ひ剃染受具し從學怠る事なし |
J19_0476A14: | 師も又法然純貫を許嘉し嗣法のこる所なくあまつさ |
J19_0476A15: | へ淨國寺第三世に撰擧あり是より法幢を建大衆を |
J19_0476A16: | 傾導す德名法義台聽に達し鈞命ありて鎌倉光明寺に |
J19_0476A17: | 轉住す紫衣を着しいよいよ弘通傳化怠りなかりしか |
J19_0476B18: | は寬永七年十月また台命を奉し縁山第十六主たり同 |
J19_0476B19: | 九年正月元日西に向ひ合掌遷化す壽七十二同六日利 |
J19_0476B20: | 勝朝臣師の寂を公廳に達し奉らる |
J19_0476B21: | 第十七世 團蓮社照譽上人遊嶽了學大和尚 |
J19_0476B22: | 下總國小金城主『高僧傳』に佐倉の城主とあるは非也高木修理亮の三男也『武野 |
J19_0476B23: | 燭談』に云千葉の家臣原か臣にて凡四十萬石を領すと云云母は大八木氏天文十八年酉春 |
J19_0476B24: | 武江糀村に生三上右馬介入道安西猶子とせり高木氏は小田原北 |
J19_0476B25: | 條家に隸す天正十八寅年北條家滅亡し小金城廢す其跡大矢口村にあり三上氏は佐佐木京極の裔高木に屬す永祿二未年 |
J19_0476B26: | 十三才にして東漸寺に入團譽上人に投して以傳上人の(師の高弟) |
J19_0476B27: | 『諷誦』には透譽善樹上人と云又十一歳の時と云此諷誦今飯沼の弘經寺の寶庫に直筆あり證とすへき歟今は『高僧傳』『新撰傳』等に依故に |
J19_0476B28: | しはらく本文に擧す以下諷誦とあるはみな以傳上人としるへし剃髮す後に生實大巖寺源譽 |
J19_0476B29: | 觀智國師存應大和尚大巖寺に住し第五世たりに隨ひ嗣法遺事なし國師大巖寺に住せ |
J19_0476B30: | られし年月未詳追て可考禀性聰慧博覽強記にして普く淨敎に通し |
J19_0476B31: | 又諸宗に達すかたはらに神道を究領し和歌を涉練す |
J19_0476B32: | 然りといへとも禮誦稱佛つとめて精修し怠る事なし |
J19_0476B33: | 螢雪の功年をかさね琢磨の光よそにあらはれ包める |
J19_0476B34: | 名大衆にしられ三十七にして『諷誦』には三十一と云佛法山の學頭 |