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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0457A01: なり終に當山の主務を讓らんとす是よりいよいよ後
J19_0457A02: 世の營のみ深かりしかは木戸江戸木多見の一族など
J19_0457A03: もみな歸依深かりしとなり天文廿亥年五月廿五日第
J19_0457A04: 八世となり弘治元卯年職を辭し諸國にいたり寺院を
J19_0457A05: たて伊勢國多氣に至り國司大納言の崇敬をうく又藩
J19_0457A06: 士日置靑山拓植天華寺曾原なと皆歸依崇敬せりとな
J19_0457A07: む後永祿五戌年八月十八日命果あり
J19_0457A08: 第九世 黁蓮社道譽上人貞把大和尚
J19_0457A09: 姓大谷氏畠山の麾下なり和泉國日根郡鳥取庄波宇手
J19_0457A10: 村の人父は刑部丞母は靑木氏女永正十二亥年九月廿
J19_0457A11: 八日誕生大永七亥年三月十三日十三歳にして同庄寶
J19_0457A12: 圓寺貞也上人に投し薙染す性魯鈍にして道心甚深し
J19_0457A13: 十七歳の時享祿四卯年二月關東の高風をうらやみ錫
J19_0457A14: を飛し敵路の中をしのき長亭の月を步詠し武藏國に
J19_0457A15: 下り三縁山にいたり修學せんとす杲譽公是を許し學
J19_0457A16: 修行精して晝夜道敎を聞く九年の星霜を經て後故郷
J19_0457A17: に歸省す師の命によりて講筵をひらく其説塲に至
J19_0457B18: り吶して言事あたはす面色赧く剩へ高座より落聽
J19_0457B19: 衆視て大に嘲り笑ふ玆に於て師に辭するに及はす
J19_0457B20: 再ひ東關にいたり晝夜孜孜として貫練精修す一朝下
J19_0457B21: 總國成田不動尊に詣て懇祈する事三七日明王假寐に
J19_0457B22: 託し現形し兩手に利鈍の二劒を提示しいはく汝將に
J19_0457B23: 何れをか呑んとするや師の云く利劒を呑んとす明王
J19_0457B24: 利劒を振ひ師の廅を裂破す即ち血を吐く事升餘にし
J19_0457B25: て甦る然れとも身に痛惱を覺へす今龍澤山に鈍血の劔あり成田山開帳の時はこ
J19_0457B26: れを結縁せしむ世人此師を祐天公と違へりしかしより日日數萬言を暗誦し顯
J19_0457B27: 密に通して内外を涉閲す後祖洞上人に隨ひ受法遺事
J19_0457B28: なしかつて武藏國小机庄泉谷寺に弘化の時杖を以て
J19_0457B29: 地を穿ち子松一株を樹其時願誓すらく我法もし行運
J19_0457B30: の榮へあらはこの松榮ふべし我法若おとろへは此松
J19_0457B31: 榮ふへからすと然るに此松年月を逐枝葉四方に布て
J19_0457B32: 一町餘にいたる邑人貞把松といふその下毎に風あり
J19_0457B33: 人みなこれを異とす寶曆年中此松由なくして仆る枝を以てうすとするにみな五斗を容るへし其のち當
J19_0457B34: 寺火災し大殿庫裏みな燒燼す天文年中下總國千葉郡生實に至り龍

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