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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0456A01: り太田氏谷土田城主に寓居せしに延德の末花又村にて了
J19_0456A02: 聞公の説法をききて自ら出家を好み投身入門す常に
J19_0456A03: 座下を離れずして一宗の經釋究練せすといふ事なし
J19_0456A04: 又和歌を嗜て冏公了譽上人觀公音譽上人の遠風をしたひ無常迅
J19_0456A05: 速をさとりて頻に淨業を修勵す文龜二戌年二月十二
J19_0456A06: 日師の讓りをうけられ當山第六世に補す僧祇など交
J19_0456A07: り深く吟賦少からす『或記』の中に述懷を僧譽
J19_0456A08: 年くれぬことしも道をなをさりの
J19_0456A09: 思ひに過しはるあきのそら
J19_0456A10: なくさめて見るもなみたの玉ささに
J19_0456A11: をく露の身のあはれ世の中
J19_0456A12: 永正元子年上杉顯定と上杉朝良の戰にますます世を
J19_0456A13: いとゐ別に長松寺をひらきて隱栖念佛し同十三年八
J19_0456A14: 月十四日安祥として寂す
J19_0456A15: 第七世 天蓮社親譽上人周仰大和尚
J19_0456A16: 武藏國世田ケ谷人吉良氏の臣大平氏の子と云初父
J19_0456A17: 病頻りなりけるに淺草觀世音に歸願し若病快せは一
J19_0456B18: 子を出家せしめんとす其月を經さるに父快愈せしか
J19_0456B19: は淺草觀音院に入りて出家得道し夫より常陸國水戸
J19_0456B20: 藥王寺にいたり學すと云學顯密をかね年解内外を貫
J19_0456B21: く常總の間千葉多賀谷椎名海上の輩の戰に世をいと
J19_0456B22: ひける頃智雲公の芳名にふと淨門の學を志し武藏國
J19_0456B23: に至り初て改門し永正元年より常に論議の碩匠とな
J19_0456B24: りつゐに台門の三諦をわすれ淨家の三心を篤信し二
J19_0456B25: 尊の仰遣を賴みて持名專ら多し昔は開權顯實の窓に
J19_0456B26: 諸法實相の燈をかかけ今は捨聖歸淨の床に厭穢欣淨
J19_0456B27: の月を詠む永正十三子年五月つゐに第七主と仰かれ
J19_0456B28: 宗徒の能化たり此公の資に稱念上人と云德解拔群の高哲あり諸國に伽藍を開く事數十ケ所其中に天智庵を以報
J19_0456B29: 恩に擬し師を以て開山としみづからは第二世と稱す天文二十亥年三月十九日寂す
J19_0456B30: 第八世 昌蓮社杲譽上人天啓大和尚
J19_0456B31: 陸奧國人也坂上田村丸十八代田村次郞俊季入道祐蓮
J19_0456B32: の末葉なり兄弟家督の爭事にて家をさけ獨身出家し
J19_0456B33: 或は山林樹下に一宿し或は禪林の接待に一夜を明す
J19_0456B34: 諸國を廻りつゐに親譽公に歸依し不斷稱名の行者と

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