浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0452A01: | 八月廿二才にして當山第二世となり宗徒を領誡し法 |
J19_0452A02: | 問論議怠慢なく勵策あり寶德四申年八月廿五日『傳 |
J19_0452A03: | 籍末抄』一帖を造り又『深義集』を述らる湖北心阿上人も是を述讚す |
J19_0452A04: | 長祿三卯年九月十五日淨衣を着し齋堂に入り念佛し |
J19_0452A05: | て入寂す春秋四十二 |
J19_0452A06: | 第三世 定蓮社音譽上人聖觀大和尚 |
J19_0452A07: | 近江國甲賀郡の人にして父は望月外記幸俊山北九家 黑川 大河 |
J19_0452A08: | 原 頓宮 土山 大野 岩屋 佐治 神保 隱岐 庄内二家 鵜飼 望月 内貴父母子なき事を同郡 |
J19_0452A09: | 瀧の明神に祈る母夢に或人明珠を與ふを呑と見て妊 |
J19_0452A10: | 娠す應永廿一午年二月十八日誕生故に母潔齋して鞠 |
J19_0452A11: | ふ年七才にして同國靑木氏の母方の一族爲に滅せられ家 |
J19_0452A12: | 寶財僕知行まて悉く奪れ彼方に養子と稱す然れとも |
J19_0452A13: | 猶密に害せん形勢なりしかは悲涙のあまり自ら剃髮 |
J19_0452A14: | せんと願ふ九才の時瀧村に至り稱名寺運譽上人を拜 |
J19_0452A15: | し師とす上人ひそかに思へらく此兒當村の明神靈應 |
J19_0452A16: | の生也此神は本地聖觀音にましますゆへに若是かの |
J19_0452A17: | 化現ならん歟と是により名を聖觀と呼風表峻越にし |
J19_0452B18: | て慧才倫を絶す十五才にして檀林の高風を學修せん |
J19_0452B19: | と諸國を遊踏し東國に下り『鎭流祖傳』四(十二左)に觀音に祈りてとは本地に託す歟增 |
J19_0452B20: | 上寺に入り宗敎を習ふ山主酉公その器純を愛秀し附 |
J19_0452B21: | 法のこす事なし傳璽すみてのち本國に歸り彼瀧の神 |
J19_0452B22: | 祠を拜し歸らんとする時俄に双脚痛み一步も去る事 |
J19_0452B23: | を得す玆に自ら思へらく我いまた神に法施を奉らす |
J19_0452B24: | とよつて瀧下に至り『護念經』を誦す痛み忽ち止私 |
J19_0452B25: | 念すらく神實に法を求る事かくのことくは當に靈を |
J19_0452B26: | 顯すべしと念し終れは溪水忽ち倒流す今逆川といふこれよ |
J19_0452B27: | り諸國を廻り靈塲を拜念し精舍を建立する事八九宇 |
J19_0452B28: | 攝津國兵庫に至り宗祖大師卓錫の地を得て西光寺を |
J19_0452B29: | 建つ檀主紫藤を堂前に植が故に里俗諺に藤の寺とい |
J19_0452B30: | ふ後再ひ關東に至り師の命によりて法源寺の二世 |
J19_0452B31: | となる又同國都筑郡金河にいたり慶運寺をひらく |
J19_0452B32: | 後此縁によりて御朱印をたまふ寶德元巳年三月縁山第三世の職に登り |
J19_0452B33: | 講説倦事なし長祿二寅年管領上杉家の藩老太田左衞 |
J19_0452B34: | 門大夫或備中守持資後入道號道灌江城を築き住す康正二年道灌齋廿五才武州荏原郡品川の |