浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0382A01: | 永く安居の講論にふくす偉かな儀正制令是皆 神太 |
J19_0382A02: | 祖の崇佛歸法の勝賜なり八紘の外にかつて有らさる |
J19_0382A03: | 所也然は則諸の國郡よりの衆徒こいねかわくは向東 |
J19_0382A04: | 仰宗の志あつく風浪鼓動千破萬溺の愁を思ひ會下に |
J19_0382A05: | 來集し佛祖の鴻恩を身にしめ學術を純精にすへき事 |
J19_0382A06: | を唯九天靑雲の階昇而已にあらす出離生死の津梁を |
J19_0382A07: | 極むるの都會なり常に寂照に思ひを遠くかくる時は |
J19_0382A08: | みつから公卿をも率て説法し十方の緇素を敎化し不 |
J19_0382A09: | 共の德風を世出世のそらに無碍ならしめ當今在山の |
J19_0382A10: | ひまは一宗に禦侮し國家の巨恩を奉酬なさんことを廢 |
J19_0382A11: | 忘すへからさるもの也 |
J19_0382A12: | ○學寮 |
J19_0382A13: | 寮は庵也草を以て圓坐を作り自ら棲をいふ西天の僧 |
J19_0382A14: | 俗修行して多く庵に居す唯釋氏のみ居棲するにあ |
J19_0382A15: | らす晋に陶琰晋書あり又陶潜逸士傳焦光神山傳も玆に居れり |
J19_0382A16: | 今佛門の中諸宗みな此規あり我蓮門學則の寮由來既 |
J19_0382A17: | に久し廓瑩上人『安樂集疏新講義下』云淨家學寮ハ往古了譽上人 |
J19_0382B18: | 於常福寺而創置祐崇和尚於光明寺而興隆二倶爲 |
J19_0382B19: | 四方雲集寓舍研學而已此時より先なきににた〓共 |
J19_0382B20: | 記主禪師の座下六派を魁首とし緇徒受訓の時みな草 |
J19_0382B21: | 庵を結ひ朝暮練綜せしこと光明寺記にみへたり其比禪 |
J19_0382B22: | 家繁榮たりしかは化風ありしにやしからは冏公はま |
J19_0382B23: | つたく他に光明寺はかりなりしを東關の地外に移されし也 ひらくの初め崇師は |
J19_0382B24: | 光明寺に再興ありしこととしらる其後諸談所に是を置 |
J19_0382B25: | 中にも橫曾根生實小金鴻巢專ら盛なり元龜天正の比 |
J19_0382B26: | 川越蓮馨寺にては淸巖岩付淨國寺開祖全樹小金東漸寺二世幡隨江戸幡隨院舘林善 |
J19_0382B27: | 導寺開山存應觀智國師も寓寮あり、我縁山には開山上人是を定 |
J19_0382B28: | 規し音譽公の時再ひ備足し法問あり爾來相繼て諸國 |
J19_0382B29: | の緇徒倚寓せり中興國師の代に至りては宗徒悉く輻 |
J19_0382B30: | 輳し他の檀林と合數すへし慶長寬永に日を追て盛隆 |
J19_0382B31: | し既に承應の山記に百二十余宇とあり或は大或は小 |
J19_0382B32: | 疆界を定め門戸を別ち主僧の名を標札して別に寮名 |
J19_0382B33: | をたてすこれ智豐の寮なとに異にして曹洞の則に凖 |
J19_0382B34: | せるににたり智積院初瀨何れも寮を長庇につくり觀翠の寮聽松の寮中の寮、端の寮などど名を定め、諸國より至 |