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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0343A01: 其請奉附屬者也冀堂宇成就て利物偏增を奉仰者
J19_0343A02: 云爾
J19_0343A03: △千躰無量壽佛
J19_0343A04: 觀智國師壯年精學の砌須藤善右衞門傳馬町住歸依ふか
J19_0343A05: く度度化益を蒙りしか後に國師となり給へる時須
J19_0343A06: 藤氏より此千躰佛を自刻し當院に納度旨ゆへ國師
J19_0343A07: 許諾して門道塲の傍に小堂を建千躰堂と稱せらる
J19_0343A08: 須藤氏は今猶小傳馬町に小林庄三郞とて當院の檀家なり國師の肖像は此人の彫刻に
J19_0343A09: て納む
J19_0343A10: 『事實記』云千躰堂は元和元年松平陸奧守家來下田
J19_0343A11: 大膳建立寬永十九年業譽上人再興元祿八年又再興
J19_0343A12: 同年四月十九日貞譽公不斷念佛開白愚按に須藤氏の造立は元祿中興の時
J19_0343A13: か未詳
J19_0343A14: △布引石像觀世音菩薩
J19_0343A15: 台廟御出陣の節めさせられし御寵愛の白馬あり尾
J19_0343A16: に布を一反結はせられかけさせ給へと其布地に付
J19_0343A17: ず故に布引と名く御他界の後當山へ納め給ふに御
J19_0343B18: 山内を不出廿四日には御廟前へ自然と出たり行者
J19_0343B19: 榮保預りとして馬士に命しいたはりけるに三四年
J19_0343B20: の後斃れしかは埋みし其上に一宇御取立成下され
J19_0343B21: 觀音石碑を居へ布引觀音と名けその脇に庵室を結
J19_0343B22: ひ念佛執行し住せし其庵を白駿菴と名く今以右の堂御修復所な
J19_0343B23:
J19_0343B24: 『事實記』云台廟中略本譽上人草創云云按するに本譽
J19_0343B25: と號する名歷世になし光阿のもとの名にや又は此
J19_0343B26: 時貫主に本譽上人ありしかは自ら改めしにや
J19_0343B27: 『事蹟合考』云心光院は本譽上人の開基
J19_0343B28: 『曲妙集』本譽上人の七十賀に郭公を源高門京極
J19_0343B29: ときはなるまつの梢のほととぎす
J19_0343B30: 聲の色さへ宿にふりせぬ
J19_0343B31: 『事蹟合考』云丹羽五郞左衞門長秀の嫡子加賀守長
J19_0343B32: 重關ケ原一亂の時武道の意氣地を以石田三成にく
J19_0343B33: みし一度身上滅却すといへとも神君台君其實儀を
J19_0343B34: しろしめされ再ひ御取立ありて十萬石餘の所領を

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