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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0315A01: 海にしめし給へりされは此白全も僧に托し本
J19_0315A02: 地の深願輪に催され徒侶の現當を救へるなる
J19_0315A03: へし
J19_0315A04: 天資乎人力人代乎天工吁確乎斯石永卓乎禹功
J19_0315A05: 石工齋藤淸助淸定
J19_0315A06: ○圓山稻荷社
J19_0315A07: 安國殿御宮の西南の丸山にあり元和年中尊影東地に
J19_0315A08: 下らせたまふときしたひ來るよしにて隨身稻荷と古
J19_0315A09: 來より稱之
J19_0315A10: ○車折大明神 鑑蓮社地内
J19_0315A11: 安永七戌年社主慶譽心願の筋成辨の謝として安置す
J19_0315A12: 然るに此神近年諸方より參詣絶間なく願成の禮參日
J19_0315A13: 日止時なし世人あやまりて稻荷と稱へ車先と改稱す
J19_0315A14: 車折を先に改稱は貫主典海大僧正なりもと山城國葛野郡下嵯峨寶壽院の鎭
J19_0315A15: 守車折大明神を移せり今彼寺の縁起を玆に寫し記す
J19_0315A16: 略縁起
J19_0315A17: 當社車折大明神と申は前右大辨淸原賴業公是也
J19_0315B18: 天性聰明にして三敎聖賢の道に達し和漢の翫ひ
J19_0315B19: 詩歌の道猶更也是に依て後白河帝和歌文學の師
J19_0315B20: 範と仰き給ふ其後高倉安德兩帝へも又又かくの
J19_0315B21: 如し然るに平氏の惡行により世上おたやかなら
J19_0315B22: す詩歌の道もすたれ萬民足をつま立るの世なり
J19_0315B23: けれは賴業公世をうき事に思ひ帝都のいぬゐな
J19_0315B24: る双の岡といふ處に引籠りつらつら世の盛衰を
J19_0315B25: 見給ふに天命遁れ難く平家悉く滅ひうせ淺間敷
J19_0315B26: も安德帝西海に沉ませたまひ夫より漸く後鳥羽
J19_0315B27: 帝へ移り又又賴業公を文學の師となし給ふ是に
J19_0315B28: 依て後世のため和漢の書籍を集め日夜に談論怠
J19_0315B29: らす士農工商の邪を禁しめ忍辱正直の道を示す
J19_0315B30: 終に文治四年四月十五日世齡七十七にして薨し
J19_0315B31: 給ふ嵯峨の靈地に廟を建て常常櫻花を愛したま
J19_0315B32: ふにより後鳥羽帝神號を櫻大明神と下し給ふ其
J19_0315B33: 後後嵯峨帝大井川臨幸の時御車を轟し門前を過
J19_0315B34: させ給ふに俄に御車止り牛進みえす供奉の公卿

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