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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0310A01: 抑當社天滿宮の來由を尋奉るに忝くも聖廟御子
J19_0310A02: 右大弁高視卿の御眞作なり往時聖廟左大臣時平
J19_0310A03: 公の爲に無實の罪にふし右大臣を貶せられ太宰
J19_0310A04: 帥に遷され心つくしに趣給ひし時御子息何れも
J19_0310A05: 諸國に分離或は遠國に吟迷或は鄙境に隱捿し給
J19_0310A06: ひし時高視卿には父公御戀情の餘り丹心を凝
J19_0310A07: し若天運循環し讒臣亡ひ我子孫再ひ榮昌の春に
J19_0310A08: 逢はは我作所の像水火の中に入とも溺燒なから
J19_0310A09: しめ給へと自ら造像なし水火にこころみ給ふに
J19_0310A10: かつてつつがなくおはせしかは是末代の靈躰な
J19_0310A11: りとて子息數多の中山城守雅規卿に授け給へり
J19_0310A12: 其後雅規御孫孝標朝臣常陸介に任し下向の時武
J19_0310A13: 藏國追補使秩父權守重綱か女に嫁し一子を生其
J19_0310A14: 子を津戸爲廣と云外祖父重綱か撫育を蒙りて譜
J19_0310A15: 代の讓りをつき武勇の道を傳ふ其三男津戸三郞
J19_0310A16: 爲守は右大將家賴朝卿に屬從し御覺も他に異にて
J19_0310A17: 榮耀時をえたりしかと宿善や内に催しけん元祖
J19_0310B18: 吉水大師に歸敬し西天の素願をとげしより家運
J19_0310B19: 大に振ひ永正十年に至れり其中間十代余皆いづ
J19_0310B20: れも此像を崇敬他に異にして居城の鎭守と仰き
J19_0310B21: しとなむ然るに年行星移り天文天正の頃に至り
J19_0310B22: ては名家多く亡ひて物新に改りけるそのころ關
J19_0310B23: 東は北條六ク國里見二ク國の麾下ならさるはなかり
J19_0310B24: けり津戸氏の子孫も數家に分れける中嫡家中地
J19_0310B25: 周防守は武藏國世田ケ谷領主吉良左兵衞督に屬
J19_0310B26: しけるに吉良氏は北條家の聟なりしかは北條氏
J19_0310B27: 亡ひて後は吉良氏は上總國寺崎に蟄居し從類み
J19_0310B28: な村家に隱れしにそ此像を所持せるにちからな
J19_0310B29: しとて慶長二酉年四月の末江戸に至らんと此地
J19_0310B30: に至りける時俄に磐石のことくに覺再ひ持行へ
J19_0310B31: き力なかりしかは野に茅原しげみたる中にうつ
J19_0310B32: み隱し置あすなん持行んと町家に此時いまた當山は貝塚にあり今の地
J19_0310B33: は飯倉村下高輪村日比谷村のなかはにて武藏野のはてなれ茅原すすきしけりけり茅野の號是よりはじまる出神祖天正
J19_0310B34: 十八年御入國ましましけれと此頃はいまた繁華ならす宿をとひける玆に其比守公

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