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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0302A01: 露をふく風よりはれて照月の
J19_0302A02: ひかりはてなきむさし野のはら
J19_0302A03: かく口すさみ音譽上人の歌詠少からす別に集ありいそかれけるに白髮の老
J19_0302A04: 人道つれと成佛法の深義をとひ種種の敎理にわたり
J19_0302A05: 玄談そこはくにして別んとする時上人に布施なさん
J19_0302A06: とて御長九寸餘の神體を授けしかは内佛に安置し法
J19_0302A07: 孫に傳へられけるを元和三年觀智國師火災消除守護
J19_0302A08: の爲堂宇を建られ白蓮池の前に安置し別當を福聚院
J19_0302A09: とす文化十年六月十日故ありて今の地に移し毛利
J19_0302A10: 家より建置す此外は福聚院の所にいたりくはしく明す
J19_0302A11: △石鳥居 寬政三年秋九月穀旦建焉 額典海大
J19_0302A12: 僧正筆
J19_0302A13: △石盥水 正德五年四月十八日 寄附 最勝院安立院
J19_0302A14: 佛心院通元院
J19_0302A15: △石燈籠 文化十酉年十二月造之
J19_0302A16: ○瘡守稻荷社 通元院地中
J19_0302A17: 元祿年中當山所化山下谷單笛いまた扇間席なりし時
J19_0302B18: より瘡疾をうれひ稻荷社に祈願せしに名を瘡に託し
J19_0302B19: 祈らんものには後來悉く平愈せしむへきの神告を受
J19_0302B20: られしかは其後諸所に説法勸誡の度毎に利益を演説
J19_0302B21: し一文字席にすすみ益ます四遠に説示ありしかは不
J19_0302B22: 日に堂宇成就せり其後神告によりいよいよ出世の敎
J19_0302B23: 理にさとく幹事をつとめ行末傳通院に住し紫衣を着
J19_0302B24: せられし事も偏に此神の冥護なりと一世社頭を崇敬
J19_0302B25: あり其後老少の男女いかなる病にても瘡に名を託し
J19_0302B26: 祈願するに神感悉く應あり
J19_0302B27: △石盥水 寶永七年十一月十七日
J19_0302B28: △石鳥居 寬政七年二月吉日
J19_0302B29: ○産千代稻荷社 觀智院地之内
J19_0302B30: 天正十八年御入國の後森氏の家臣藤井三郞右衞門な
J19_0302B31: る者森氏十八萬石の時は高祿を給へりしかと森氏减祿の時藩臣數多暇を給へりしかは譜代皆皆他家へ仕官す藤井氏も此時新庄家へ
J19_0302B32: 召れ新圧家に仕ふ今に至り代代藤井三郞右衞門と名のる此神の由來彼家につたふ代代崇奉護持せしか
J19_0302B33: 今の片門前の地正しく森氏の舊地の内なりと云慶長三年當山貝塚より御引移
J19_0302B34: 御建立の時此社は門前に殘りける寬永二年正月二

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