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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0298A01: 崇祭鎭座し奉りしかと數年の兵亂止時なく神社も跡
J19_0298A02: 方なく破壞に及ひ 一説に應仁文明の比まては京極五條の間に宮牆ありしかと山名細川の亂に兩度灰燼せ
J19_0298A03: しを武州品川城主宇田川和泉守細川の催促にて上京せし時かねて信し奉れる天神の像なりしかは都の内は物も靜ならぬにそ密に所持し
J19_0298A04: 武州に下り我領の内人家を隔てし下高輪の渡場のわき飯倉の邊に勸請せしかは近郷の者とも大に信敬し奉り宮殿鳥居めてたく成就せし
J19_0298A05: にそ人人飯倉の社と稱へ御入國のころも尚ひときはだちし宮居なり其比宇田川氏は北條家に族屬したりしかと浪人し子孫日比谷(今芝と
J19_0298A06: 云)のほとりに住りとそ又二男は福島家へ仕へ今は又外家にて子孫相續せりとなん(宇田川氏の傳)事跡も失て星
J19_0298A07: 霜幾ばくか經享德のころ北嵯峨の草堂に居置奉りし
J19_0298A08: を觀心といへる沙門靈夢を蒙り尊像を背負ひ東路に
J19_0298A09: 至る蒼蒼たる武藏野一面の叢中なれは盜賊の爲に
J19_0298A10: 負の中財寶なりと心得奪取らる然に尊像忽ち大磐石に異ならす數
J19_0298A11: 萬斤の重となる盜賊等爭か動す事なるへきや大に恐
J19_0298A12: 懼し其儘其所に打すて尾花搔分迯行ぬ其後長祿年中
J19_0298A13: 宇田川某武藏國品川の城に居住す時に東北に當て夜
J19_0298A14: 夜金色の光ひらめきて空中に登る城主大に怪み家臣
J19_0298A15: に命し其光熒の源を探求しめけるに飯倉邑の萱原の
J19_0298A16: 中より是より茅野の天神とも申傳ふよしされと此神とは別なり光明赫赫として邊を照
J19_0298A17: す草を分尋しに菅神の像なりしかは次第を委く演し
J19_0298B18: に城主かねて天神を歸信せしかば大に悅ひ即ち出現
J19_0298B19: の地に社をきつき此邊みな知行す尊像を安置す今天神谷の地なり後慶長
J19_0298B20: 中御當山此地に轉地草創の時中興國師當山の鎭守と
J19_0298B21: 崇給へり已上起立縁由享保二年八月十五日住持雲洞の願に
J19_0298B22: 依て今の地にうつしその跡を天神谷と云其時古廟の
J19_0298B23: 跡をうがちけるに朽木の十一面觀世音菩薩の像を堀
J19_0298B24: 出せしかばやかて本地佛と崇め社内に安置す即神像
J19_0298B25: の腹内に菅公直筆の書を收籠す舊記に此神を飯倉に
J19_0298B26: 崇めしは文明年中とあり
J19_0298B27: 正面柱聯二枚あり
J19_0298B28: 神跡千年松色如在 祠壇二月梅花惟馨 服元喬
J19_0298B29: 百世流澤始起紀傳之家 一德格天永享爼豆之祀 藤長胤
J19_0298B30: △鳥居の額 天滿宮五條大納言菅原爲範卿筆

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