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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0276A01: を大樹寺におさめ同寺鎭譽法筵をひらき大會を
J19_0276A02: 修し奉る今時毎年正月六日諸宗惣寺院柳營家に拜禮せるも此君の忌日に當らせ給ふ故東照宮定めさせ給へりと聞へし
J19_0276A03: 同君御舍弟成譽慶圓上人始は三河國御津大音寺に
J19_0276A04: 住し後大樹寺にうつり十四世天正三亥年四月廿五日
J19_0276A05: 遷化あり
J19_0276A06: 右の外三河國にて分流なし給へる松平氏みな淨宗
J19_0276A07: に歸依し菩提所を定させらる故に傳通院殿掩糚の
J19_0276A08: 御時は知恩院にて御葬事あらせられ江戸にて別に
J19_0276A09: 傳通院を再建し改葬なし給へり又『大業廣記』に
J19_0276A10: は有親君當山に寄寓し給へる事をしるせり又三河
J19_0276A11: 國御菩提所寺院の開山も多は當山開山の資嗣なり
J19_0276A12: 又開山酉譽上人の母は左中將義貞朝臣の女なり是
J19_0276A13: 等も奇遇と謂へき歟故に越前中納言殿秀康卿逝去の
J19_0276A14: 時曹洞孝顯寺に葬送ありしかど台命ありて代代淨
J19_0276A15: 土宗なり他宗に葬事あるへからすと淨光院を新に
J19_0276A16: 建立し給ひ改葬あり此外多しといへども略之
J19_0276A17: されは當山を以御菩提所と定めさせ給へる事一筆
J19_0276B18: の記所一考の所考にあらす實に顯昧の善神のしか
J19_0276B19: らしむる所にして宗派永榮の根趾をひらくべき時
J19_0276B20: 運ならし

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