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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0275A01: 光院御建立ありしも此故なり
J19_0275A02: 三河國に移らせ給ひては始祖親氏君淨家に歸依し
J19_0275A03: 給ひ寬立上人をまねき高月院を開基あらせらる
J19_0275A04: 泰親君又同しく同寺閑的良傳の二師を歸依あらせ
J19_0275A05: られ
J19_0275A06: 和泉入道信光君は知恩院廿一世 慶竺上人を歸依し酉譽
J19_0275A07: 上人の弟子なり寬德三未年飯沼弘經寺所化存冏を是も同じく酉譽公の弟
J19_0275A08: 子三河國にめさせられ城邊に信光明寺建立なし御
J19_0275A09: 菩提所に定させられ親氏君泰親君の廟所を建させ
J19_0275A10: られ後には御身も剃度受戒あらせらる長享二申年
J19_0275A11: 七月廿二日卒去の時は釋譽上人導師をつとめ崇岳
J19_0275A12: 院殿と號す
J19_0275A13: 左京亮親忠君は同國鴨田村西光寺勢譽上人を歸依
J19_0275A14: し給ひ酉譽上人孫弟子了曉上人の弟子也應仁元年伊田野合戰に討死せ
J19_0275A15: し靈魂を得脱せしめられし功によりて新に大樹寺
J19_0275A16: をひらき此時勢譽上人淨家の深義をのべ我淨土に生れ成道し後に此國に生れ來り永く御子孫を守護し奉り天下を松平
J19_0275A17: の御家にとり奉らせなんと自誓し成道山と山號し又其時はかく亂れし代とちがひ民安く自業をたのしましめんと松安院とつけ又將
J19_0275B18: 軍職をつかせ給はん前表を祝禱し大樹寺と名つけささぐ親忠君大によろこひ給ひかく我家をひゐきし祝禱ある上は子孫も永く宗門
J19_0275B19: たるへしと御歸敬日にましませり つゐには御子の内を出家せしめら
J19_0275B20: れ超譽上人と號す上人後に信光明寺に住したまひ
J19_0275B21: 又後柏原院の勅請によりて永正十七年十一月十五
J19_0275B22: 日知恩院に住し給へり此上人の傳掛錫學匠の下に出す明應十酉年八
J19_0275B23: 月十日入道殿卒去し給ひしかは大樹寺に葬せられ
J19_0275B24: 松安院殿と號す
J19_0275B25: 出雲守長親君は大樹寺玉譽上人に師檀の約深く御
J19_0275B26: 家門みな檀家と定めさせらる天文十三辰年八月廿
J19_0275B27: 一日卒去の時は同寺八世寶譽上人下炬せらる
J19_0275B28: 藏人祐信忠君享祿四夘年七月卒去時は同寺玉譽
J19_0275B29: 上人法號を安栖院殿とおくり法要嚴重に修行あり
J19_0275B30: 次郞三郞淸康君天文四未年十二月五日卒去あらせ
J19_0275B31: られしかば同寺寶譽上人導師をつとめ追福を修し
J19_0275B32: まいらせらる
J19_0275B33: 贈大納言殿廣忠卿天文十八酉年三月六日逝去し給ひ
J19_0275B34: しかば瑞雲院殿と號し松應寺にて火葬し奉り御骨

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