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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0269A01: 宇を再建すと
J19_0269A02: 『又云』同十年五月五日相摸國平塚の城を攻られ
J19_0269A03: し時人數を當山に揃へ禁制の札を建つと
J19_0269A04: 『寺記』云扇谷上杉定正の臣長尾四郞左衞門景春
J19_0269A05: 入道伊玄定正に逆心し當國五十子にて合戰定正利なく
J19_0269A06: して敗走の時當山に入て晝の飯を乞ふと
J19_0269A07: 『又云』同十八年七月十六日道灌相模國糟屋館に
J19_0269A08: て誅せられし後家臣齋藤加賀守牌を當山に納む曾
J19_0269A09: 我豐後守江戸城を守護の後當寺に宿せられし事兩
J19_0269A10: 度と云云
J19_0269A11: 右何れも寺家の庫書古記にあり實否いかかとい
J19_0269A12: へども古記のままここに記す
J19_0269A13: 第二中興嘉運
J19_0269A14: 御當家御師檀
J19_0269A15: 天正十八年八月御入國の時當山を以御菩提所と定め
J19_0269A16: させられたまひける此時十二世住持源譽存應上人な
J19_0269A17: 上人の行狀其外本傳の所に出 是に付古來より種種の異説あり今三
J19_0269B18: 五を出し後に正義を述ふ
J19_0269B19: 『開運錄下』云秋八月改て江戸の城へ御入部あり
J19_0269B20: ければ老若男女群集し御入部の體を拜見す其比增
J19_0269B21: 上寺の境地は今の龍の口の東にあり其時の現住は
J19_0269B22: 源譽存應和尚五十歳とて開山酉譽上人より第十二の
J19_0269B23: 住持たり御入國の儀式を見奉らんと門に出つ然に
J19_0269B24: 公は馬上にて寺の門前御通ありけるが不思議や御
J19_0269B25: 馬ととまり進み得ず左右を顧みたまふに一僧寺の
J19_0269B26: 門に侍りぬ御近習に仰付られあれなる出家は如何
J19_0269B27: なる僧ぞ尋よとのたまふ即ち其由を尋問はれけれ
J19_0269B28: ば寺は淨土宗其名は存應と答給ふ御近習いまた其
J19_0269B29: 由を申上げざるに公は馬上にて御聞さては感譽の
J19_0269B30: 弟子の存應歟と仰らる和尚あつと答給ふ然は寺へ
J19_0269B31: 立寄んと御馬より下させ給ひ即增上寺に御入あり
J19_0269B32: 和尚大に悅ひ御茶など上らる時に公の仰には某一
J19_0269B33: 人明朝此寺にて齋を受用すべし調菜は必無用なり
J19_0269B34: とのたまへは和尚存寄さる事なれば聊か實としや

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