浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0268A01: | えければ緇素の歸敬も又少からす此時東關に淨宗を |
J19_0268A02: | 唱へ法義弘通の士岩城流には良大仰觀專稱寺六世と |
J19_0268A03: | して勅願所の綸命を賜ひ奧羽本山の號を唱へ學徒大 |
J19_0268A04: | に輻輳し白土增福寺開山良弘天藝は奧州に弘化し大 |
J19_0268A05: | 澤の流には隆本良德圓通寺に張綱し白旗流には鎌倉 |
J19_0268A06: | 光明寺觀譽祐崇上人勅命に應して禁闕に説法し永代 |
J19_0268A07: | 紫衣の高職を許され眞如堂十夜の法則を淨家に移會 |
J19_0268A08: | し數十餘所の寺を開き道名忽ち遠近に振へり又三浦 |
J19_0268A09: | の智聰は宗圓寺長井寺駿府報土寺を開きて宗燈をか |
J19_0268A10: | かやかし瓜連常福寺の良慶常陽に宗光を增し又吾妻 |
J19_0268A11: | の識阿鵜木の賢信西山の流義を弘布す其外の人師敎 |
J19_0268A12: | をときて道俗を遊化し法をのべて緇素を勸益事此時 |
J19_0268A13: | を盛なりとす師其中に卓然として寺門を輝崇せしめ |
J19_0268A14: | 宗綱をみたれさらしむ實に亞祖の功たり故に木戸三 |
J19_0268A15: | 河守孝範太田道灌太山大和守資俊奧山好繼江戸喜多 |
J19_0268A16: | 見の一族他宗の僧には禪門の蘭坡龍澤橫川鐵牛をは |
J19_0268A17: | じめ皆歸敬討文の爲或は友とし或は師とし其英彥を |
J19_0268B18: | 世にしらるるもの集會せずといふ事なし其後代代其 |
J19_0268B19: | 法將たるべきを撰び綱張たらしめければ宗日年をこ |
J19_0268B20: | へて榮輝し法月星を重ねて昌朗たりしかりといへと |
J19_0268B21: | も二百餘年或は學徒の雲集或は山主の德行其厚薄な |
J19_0268B22: | きにしもあらす又は兵戰陣列の爲又は火災賊難の爲 |
J19_0268B23: | に經卷沈滅し興廢榮枯なきにしもあらず事蹟の正記 |
J19_0268B24: | 庫藏の外他の考文を得ざれば假實證すべきに難きゆ |
J19_0268B25: | へに今は只古傳のままを出す |
J19_0268B26: | 『靈麟大僧正記』云享德三戌年十二月廿七日左馬 |
J19_0268B27: | 頭成氏朝臣上杉右京亮憲忠を誅せられしにより長 |
J19_0268B28: | 尾景春等是を攻ける時康正元年成氏朝臣鎌倉より |
J19_0268B29: | 敗走の時當寺に隱れ玉ふ事三日と云云 |
J19_0268B30: | 『又云』文明三年成氏朝臣上杉顯定の爲に攻られ |
J19_0268B31: | 總州千葉城に入給へる前當寺に陣し在す事三日と |
J19_0268B32: | 云云此時上杉長尾の爲に寺を燒失せらるると云云 |
J19_0268B33: | 『廓榮上人』云文明八年四月十三日定正の臣太田 |
J19_0268B34: | 道灌當國豐島氏と戰ひける時陣所とし勝利の後寺 |