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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0268A01: えければ緇素の歸敬も又少からす此時東關に淨宗を
J19_0268A02: 唱へ法義弘通の士岩城流には良大仰觀專稱寺六世と
J19_0268A03: して勅願所の綸命を賜ひ奧羽本山の號を唱へ學徒大
J19_0268A04: に輻輳し白土增福寺開山良弘天藝は奧州に弘化し大
J19_0268A05: 澤の流には隆本良德圓通寺に張綱し白旗流には鎌倉
J19_0268A06: 光明寺觀譽祐崇上人勅命に應して禁闕に説法し永代
J19_0268A07: 紫衣の高職を許され眞如堂十夜の法則を淨家に移會
J19_0268A08: し數十餘所の寺を開き道名忽ち遠近に振へり又三浦
J19_0268A09: の智聰は宗圓寺長井寺駿府報土寺を開きて宗燈をか
J19_0268A10: かやかし瓜連常福寺の良慶常陽に宗光を增し又吾妻
J19_0268A11: の識阿鵜木の賢信西山の流義を弘布す其外の人師敎
J19_0268A12: をときて道俗を遊化し法をのべて緇素を勸益事此時
J19_0268A13: を盛なりとす師其中に卓然として寺門を輝崇せしめ
J19_0268A14: 宗綱をみたれさらしむ實に亞祖の功たり故に木戸三
J19_0268A15: 河守孝範太田道灌太山大和守資俊奧山好繼江戸喜多
J19_0268A16: 見の一族他宗の僧には禪門の蘭坡龍澤橫川鐵牛をは
J19_0268A17: じめ皆歸敬討文の爲或は友とし或は師とし其英彥を
J19_0268B18: 世にしらるるもの集會せずといふ事なし其後代代其
J19_0268B19: 法將たるべきを撰び綱張たらしめければ宗日年をこ
J19_0268B20: へて榮輝し法月星を重ねて昌朗たりしかりといへと
J19_0268B21: も二百餘年或は學徒の雲集或は山主の德行其厚薄な
J19_0268B22: きにしもあらす又は兵戰陣列の爲又は火災賊難の爲
J19_0268B23: に經卷沈滅し興廢榮枯なきにしもあらず事蹟の正記
J19_0268B24: 庫藏の外他の考文を得ざれば假實證すべきに難きゆ
J19_0268B25: へに今は只古傳のままを出す
J19_0268B26: 『靈麟大僧正記』云享德三戌年十二月廿七日左馬
J19_0268B27: 頭成氏朝臣上杉右京亮憲忠を誅せられしにより長
J19_0268B28: 尾景春等是を攻ける時康正元年成氏朝臣鎌倉より
J19_0268B29: 敗走の時當寺に隱れ玉ふ事三日と云云
J19_0268B30: 『又云』文明三年成氏朝臣上杉顯定の爲に攻られ
J19_0268B31: 總州千葉城に入給へる前當寺に陣し在す事三日と
J19_0268B32: 云云此時上杉長尾の爲に寺を燒失せらるると云云
J19_0268B33: 『廓榮上人』云文明八年四月十三日定正の臣太田
J19_0268B34: 道灌當國豐島氏と戰ひける時陣所とし勝利の後寺

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