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J2820 三縁山志 摂門 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0265A01: 土の談所とせられ又數代の後觀智國師大神君と宿契
J19_0265A02: 深因にして是をはかり中興として御菩提所となれり
J19_0265A03: 然れば當山は關東の古跡大神君の御再興も實に故あ
J19_0265A04: るかなと云云始の庫書に三十四代とあるによれば此
J19_0265A05: 説も又據あるに似たり後哲是を校考せば補功多かる
J19_0265A06: べし此時まで光明寺と名づけし事は『山庫記』『歷
J19_0265A07: 代譜』『大業廣記』『江戸名所記』『江戸砂子』其外の
J19_0265A08: 書に出たれは光明寺はもと眞言宗にして改宗開山は
J19_0265A09: 酉譽上人なる事明らかなり
J19_0265A10: 『眞言僧光明法印語』智積院所化云武藏國光明寺はもと
J19_0265A11: 下野國藥師寺に附しのち醍醐の流に浴し理性院の
J19_0265A12: 末寺に其名あり事蹟は不詳と云云
J19_0265A13: 又『或云』光明寺といへるは淨土宗良榮上人の開
J19_0265A14: 基にして櫻田にあり其後三河國より一向宗の僧來
J19_0265A15: りて改派し今西久保にありて西本願寺に屬す當山
J19_0265A16: をも光明寺といへるは兩寺別なるにや又彼寺も歷
J19_0265A17: 代永く延寶の比十八世と鐘銘にあれば改派にまぎ
J19_0265B18: れなし光明寺もしくは二寺ありしにや云云
J19_0265B19: 『經歷和尚』云當山もと龍の口にありて眞言宗に
J19_0265B20: て年久し上杉民部大輔新田武藏少將義宗朝臣をた
J19_0265B21: すけ武藏野合戰の時尊氏卿陣所と定められし舊地
J19_0265B22: なり尊氏卿は代代眞言を崇敬ありて下野國鑁阿寺
J19_0265B23: を建立し一族悉く歸敬の佛閣なり尊氏卿のさたと
J19_0265B24: して鑁阿寺の末支たり賜りし書も數多有しを其後
J19_0265B25: 千葉北條上杉太田の合戰のたびたび陣所となり或
J19_0265B26: は兵火に灰燼し或は賊徒にかすめられ今殘る器書
J19_0265B27: なし此事は古傳の記錄に漏たる事也と先師の法祖
J19_0265B28: 延寶三年に書殘せる『玉枝露』といへるものに載
J19_0265B29: 云云
J19_0265B30: 年光移り物改り事かはれる世中なれは區説其正考を
J19_0265B31: 得ず惜むへし開基の功業末流に傳ふる事なきを當今
J19_0265B32: 又かくのことしもし記傳を正留につくさずば將來又悲
J19_0265B33: 疑の二に及はんもの歟
J19_0265B34: 增上叢基

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