浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J19_0265A01: | 土の談所とせられ又數代の後觀智國師大神君と宿契 |
J19_0265A02: | 深因にして是をはかり中興として御菩提所となれり |
J19_0265A03: | 然れば當山は關東の古跡大神君の御再興も實に故あ |
J19_0265A04: | るかなと云云始の庫書に三十四代とあるによれば此 |
J19_0265A05: | 説も又據あるに似たり後哲是を校考せば補功多かる |
J19_0265A06: | べし此時まで光明寺と名づけし事は『山庫記』『歷 |
J19_0265A07: | 代譜』『大業廣記』『江戸名所記』『江戸砂子』其外の |
J19_0265A08: | 書に出たれは光明寺はもと眞言宗にして改宗開山は |
J19_0265A09: | 酉譽上人なる事明らかなり |
J19_0265A10: | 『眞言僧光明法印語』智積院所化云武藏國光明寺はもと |
J19_0265A11: | 下野國藥師寺に附しのち醍醐の流に浴し理性院の |
J19_0265A12: | 末寺に其名あり事蹟は不詳と云云 |
J19_0265A13: | 又『或云』光明寺といへるは淨土宗良榮上人の開 |
J19_0265A14: | 基にして櫻田にあり其後三河國より一向宗の僧來 |
J19_0265A15: | りて改派し今西久保にありて西本願寺に屬す當山 |
J19_0265A16: | をも光明寺といへるは兩寺別なるにや又彼寺も歷 |
J19_0265A17: | 代永く延寶の比十八世と鐘銘にあれば改派にまぎ |
J19_0265B18: | れなし光明寺もしくは二寺ありしにや云云 |
J19_0265B19: | 『經歷和尚』云當山もと龍の口にありて眞言宗に |
J19_0265B20: | て年久し上杉民部大輔新田武藏少將義宗朝臣をた |
J19_0265B21: | すけ武藏野合戰の時尊氏卿陣所と定められし舊地 |
J19_0265B22: | なり尊氏卿は代代眞言を崇敬ありて下野國鑁阿寺 |
J19_0265B23: | を建立し一族悉く歸敬の佛閣なり尊氏卿のさたと |
J19_0265B24: | して鑁阿寺の末支たり賜りし書も數多有しを其後 |
J19_0265B25: | 千葉北條上杉太田の合戰のたびたび陣所となり或 |
J19_0265B26: | は兵火に灰燼し或は賊徒にかすめられ今殘る器書 |
J19_0265B27: | なし此事は古傳の記錄に漏たる事也と先師の法祖 |
J19_0265B28: | 延寶三年に書殘せる『玉枝露』といへるものに載 |
J19_0265B29: | と云云 |
J19_0265B30: | 年光移り物改り事かはれる世中なれは區説其正考を |
J19_0265B31: | 得ず惜むへし開基の功業末流に傳ふる事なきを當今 |
J19_0265B32: | 又かくのことしもし記傳を正留につくさずば將來又悲 |
J19_0265B33: | 疑の二に及はんもの歟 |
J19_0265B34: | 增上叢基 |